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@ひろしまサミットまで 3日 国民義勇隊

 広島市中心部から北約10キロの川内村(現安佐南区川内地区)は「ピカの村」と呼ばれました。村の男性の多くがあの日、国民義勇隊として爆心地付近の建物疎開作業に動員され、犠牲になったのです。夫を奪われた女性は70人以上いました。

 中区の平和記念公園西端の本川沿いにある「義勇隊の碑」には、川内村の180人の名前が記されています。村の女性は戦後、生きるため、子どもを養うために支え合って畑作や日雇い労働をしました。

 「乳飲み子を背負うて大八車を引っぱった」「午前二時には肥桶(おけ)を馬車に積んで出た」。証言集には、当時の苦難を思わせる言葉が残されています。(久保友美恵)

(2023年5月16日朝刊掲載)

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