×

社説・コラム

社説 広島サミット 資料館見学 歴史的一歩 さらに前進を

 広島市の平和記念公園にきのう、核兵器を持つ米国、英国、フランスを含めた先進7カ国(G7)の首脳たちが足を踏み入れ、原爆資料館を見学した。原爆犠牲者の慰霊碑に花をささげた正午ごろには、前日から降り続いた、被爆者の涙雨を思わす冷たい雨は上がっていた。

 資料館見学は、被爆地で初めて開かれるG7首脳会議(広島サミット)の開幕を飾る歴史的な一歩と言えよう。ただ、それだけでは、被爆地としては満足できない。広島開催のハードルを一つ越えたに過ぎず、「核兵器のない世界」という広島の目指すゴールには程遠いからだ。

 公園一帯は原爆投下までは市内有数の繁華街だった。その街並みと住んでいた人々を焼き尽くしたのが米国の落とした原爆である。公園として生まれ変わった地には、78年前、原爆の閃光(せんこう)を浴びた人たちの骨や無念の思いが眠っている。

 核兵器は都市を丸ごと壊滅させ、兵士ではない子どもやお年寄りの命まで無差別に奪う。まき散らす放射線は、閃光を浴びて十年以上過ぎた後も人体を傷つける。そうした非人道性を核のボタンを持つ首脳たちが理解し、G7の総意として「核なき世界」への道筋を示してこそ、広島サミットは成功といえる。

 核の惨禍を繰り返すなと、被爆地は訴え続けてきた。その声は世界の多くの人々や国々には広がり、核兵器廃絶に道を開く禁止条約が3年前に発効した。それでも、核を持つ国々には、なかなか届かなかった。

 米国立スミソニアン航空宇宙博物館を巡る騒動を思い出す。1995年の開催に向け、戦後半世紀を振り返る企画展を計画し、原爆被害を示す広島の資料も展示する予定だった。しかし「原爆投下は正しかった」と主張する米国の退役軍人たちが猛反発。企画展は中身が大幅に修正され、計画を進めた館長は辞任に追い込まれた。

 原爆投下の正当化論が根強い米国の世論が多少は変化し、現職大統領の広島訪問が初めて実現するには、さらに20年以上の歳月が必要だった。ただ、オバマ氏は平和記念公園で慰霊碑に献花はしたが、資料館では10分程度、限られた展示品を見ただけだった。

 今回は、バイデン米大統領とマクロン仏大統領、スナク英首相の三つの保有国の首脳が資料館を見学し、被爆者の肉声も聴いた。やっと、ここまで来たのである。

 首脳そろっての資料館滞在は40分にとどまった。展示物をつぶさに見れば、1時間では足らないはずだ。おまけに、何を見たのかさえ、明らかにされていない。被爆証言も一人だけでは十分とは言い難い。

 資料館の芳名録に、首脳たちは感想などをつづった。例えばマクロン氏は「平和に向けて行動することが私たちの責務だ」などと記している。

 さらに、首脳たちに望みたい。資料館で何を見たのか。被爆証言を聴き、どう感じたか。その上でなお、核兵器を使う選択肢を持ち続けるのか。禁止条約には相変わらず、そっぽを向けたままか。自らの言葉で説明を尽くすと同時に、核なき世界を前進させる決意を示し、行動に移す必要がある。それが、人類の自滅を招きかねない核を持つ国の首脳としての責任である。

(2023年5月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ