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港千尋氏 アラン・レネさんを悼む 広島舞台の名作不朽

 アラン・レネ監督が亡くなった。戦後のフランス映画を代表する監督は、2012年のカンヌ映画祭にも元気な姿を見せ、制作中の作品について語っていた。その新作の一般公開を目前に、まるで約束を果たしたかのように、スクリーンのかなたへ旅立った。

 1950年代、ナチスのアウシュビッツ収容所を扱った「夜と霧」などのドキュメンタリーで頭角を現すが、若い頃はシュールレアリスムの影響を強く受けており、代表作には記憶や無意識といったテーマが含まれている。難解さも指摘されたが、軽妙洒脱(しゃだつ)な作風だ。

 多くの人にとって特別な思い入れがあるのが、最初の長編作品「ヒロシマ・モナムール」(59年、邦題「二十四時間の情事」)である。戦後の広島を舞台に、マルグリット・デュラスのシナリオにレネの斬新な構成が組み合わさって、新しい映画の言語が誕生した。映画史に残る傑作である。

 批評家のドミニク・ノゲーズはそれを「映画の青春」と呼んだが、戦争によって破壊された廃虚から立ち上がる愛の記憶の物語は、ひとつの時代の記憶として観客の多くに共有され、昨年はリプリント版が公開されている。

 思い出すのは、映画の撮影からちょうど半世紀たった08年に、主演女優のエマニュエル・リヴァが広島を訪れたことである。レネ自身も優れた写真を撮っているが、その彼からカメラの手ほどきを受けた彼女は、復興途上にあった広島の町や子供を撮影していたのだ。

 その写真集「HIROSHIMA 1958」は日本でもフランスでも話題になったが、それをきっかけに女優としての活躍も再起動した観がある。一昨年にはミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」に主演し、国際的にも高く評価されている。私はそこに、「ヒロシマ・モナムール」を通してレネ監督に見いだされた才能が、映画の中で人生の終わりを演じきるという、深い精神性を含んだ応答を読みとり、感動した。

 レネを回想する俳優やスタッフたちは、どの作品でも彼が皆との友情を大切にしていたと語っている。その友情を通して彼が伝えたかったことは、人生を見つめ続けるということだったに違いない。リヴァは広島で、まさに人生へのまなざしを学び、その演技を通して、私たちもそれを受け取った。

 レネの芸術は、他者の人生へ注がれる、すべてのまなざしの中で続いてゆくだろう。(写真家、批評家、多摩美術大教授)

 アラン・レネさんは1日死去、91歳。

(2014年3月14日朝刊掲載)

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