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社説・コラム

『潮流』 くぎを刺す声

■論説委員 石丸賢

 G7広島サミットの開幕前、くぎを刺す声が地元市民から何度も発せられた。被爆地を「貸し舞台」にしてはならない、と。

 苦々しい、7年前の例があるからだろう。原爆慰霊碑を背にした米国のオバマ元大統領の演説である。

 原爆投下の責任に触れるどころか「空から死が降ってきて…」と、おとぎ話のような語り口だった。名スピーチ伝説に箔(はく)がつくよう、「舞台」に使われただけでは―。疑問を持った市民も少なくあるまい。

 彼が原爆資料館にいたのは約10分で、展示と向き合うには物足りなかったはずだ。それでも激務をやりくりし、削り出した特別な時間だったのだろう。

 それほどの思いが本当にあるのなら、と別の疑問が浮かぶ。市井の人に戻ったオバマ氏は、広島の地を再び訪れたのだろうか。残念ながら、そんな話は寡聞にして知らない。

 「核のボタン」一つで、惨禍に突き落とされるのは市民である。被爆者の憤死と遺族の痛苦を、一人の生活者として、いかに肌身に感じることができるか。それを抜きにした「核なき世界」の誓いなど、たわ言に思えてくる。

 人の道に外れた、忌むべき武器と見なしたのが核兵器禁止条約である。その大本にも、広島や長崎が受け継いできた被爆者たちの哲学がある。「家族を奪われ、この身を焼かれた痛みは、私たちで最後に」との動かぬ思いである。

 サミット初日のきのう、G7首脳は原爆資料館で40分ほど過ごした。核保有国のバイデン米大統領やスナク英首相には配偶者の姿があった。ボタンを押す側の為政者にとって、最も身近にいる市民だろう。

 そして、くぎを刺せる立場でもある。今や、広島型原爆とは比べものにならぬ破壊力を持つ核兵器は二度と使ってはならない、葬り去るべき兵器だ、と。

(2023年5月20日朝刊掲載)

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