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連載・特集

フィルムは生きている 広島市映像文化ライブラリー40年 <上>

 広島市映像文化ライブラリー(中区基町)は1982年5月、国内で初めて自治体が設けたフィルム・アーカイブだ。広島ゆかりの映画を中心にフィルムの収集、保存、上映に力を注ぎ、40年を経た。その歩みを振り返り、市が掲げる「平和文化」の担い手としての課題をみる。(渡辺敬子)

「幻の名作」 発掘に貢献

アニフェス受賞作 宙に浮く

 日本映画を軸に、民間の映画館とはひと味違う国内外の名作を楽しめる多彩な鑑賞会を毎月企画する。2022年3月現在、日本名作映画768本(うち35ミリフィルム695本、16ミリ68本)や教育文化映画3840本(うち16ミリ1830本)を所蔵。レコードコンサートや講演会もある。

 「広島には、原爆に関するあらゆるフィルム資料を収集・保存する義務がある。記録映画はもとより、劇映画でもテレビ番組でも、時がたてばかけがえのない資料となる」。78年の中国新聞に広島大教授だった故中川剛さんが夢をつづる。座長を務めた市文化懇話会でライブラリー建設を提案。政令指定都市実現のため自治省から助役に就いた沢田秀男さん(89)や、市民の愛好団体も賛同した。

 東広島市出身で当時東映社長だった故岡田茂さんが全面的に支援。日本映画製作者連盟会長でもあり、広島市は商業フィルム購入が認められた。元市職員でライブラリー準備室にいた中道紘二さん(82)は「新藤兼人監督に収蔵作品の選定などを相談した。世界の監督や研究者がヒロシマと映画を学ぶ場になることを願っておられた」と懐かしむ。

 91年、フィルム処分に困った市内の男性から相談が入った。所在不明で「幻の名作」だった伊藤大輔監督「忠次旅日記」(27年)と分かり、専門家による修復作業でよみがえった。活弁上映会はいつも満席だ。

 「100年前の映像も、フィルムなら時代に応じたフォーマットに変換して鑑賞できる」と国立映画アーカイブ(東京)の特定研究員とちぎあきらさん(65)。1923年の関東大震災の記録映画をウェブでデジタル公開する作業を進めている。デジタル映像は保存媒体を更新するごとにコストがかかり、長期保管にはフィルムが最も適するという。

 ライブラリーは中央図書館とともに、JR広島駅南口のエールエールA館へ2026年に移転することが今年3月決まった。現在の収蔵庫は室温20度だが、フィルム保管に適した6度以下に保つ低温収蔵庫が新設される。ビデオテープやレコードも含め、収蔵資料は全て引っ越す方針だ。

 「フィルムが後世に残るのは映画人にとって特別なこと」と美術監督の部谷京子さん。是枝裕和監督「幻の光」(95年)収蔵時のフィルム試写を振り返る。ライブラリーと連携して古里で映画祭を開いてきただけに、フィルム本来の深みやぬくもりが味わえる上映環境整備や、収蔵作品を熟知するベテラン職員の後継者育成に期待する。

 被爆40年の85年に始まり、20年まで計18回開いた広島国際アニメーションフェスティバル。第1回グランプリの手塚治虫監督「おんぼろフィルム」をはじめ受賞作のフィルムやビデオ計244点を収蔵庫で保管するが、今は上映ができない。作家たちと契約見直しの手続きをしないまま、市などの実行委員会が21年3月に解散したためだ。

 ヒロシマへの思いを込めて国内外の作家が出品した作品だけに、22年8月の「ひろしま国際平和文化祭」でも上映が検討されながら実現に至らなかった。市は「権利関係者の連絡先を調べて再契約を結ぶ。市民の財産であり、責任を持って収蔵し、鑑賞してもらえる体制をつくる」とするが、手続きはこれからだ。

新たな収蔵庫 収集に弾み

国立映画アーカイブ主任研究員 教育・発信室長 冨田美香さん(57)

 広島で見つかった「忠次旅日記」は、戦前の日本映画史でベストワンに輝き、国民が歓喜し、時代の思潮として影響を与えた作品。古い雑誌を調べると、欧米映画が専門の批評家たちも絶賛している。大学院生だった私は読むだけでわくわくした。失われたと思われていた歴史的な文化が現代によみがえり、与えた衝撃と感動は計り知れない。

 発掘されたフィルムを修復、復元する技術の重要性にも目が向けられる大きな出来事だった。日本映画の収集、保存、復元、公開というアーカイブ活動を深化させる契機にもなった。

 世界的には各国のアーカイブが連携し、情報共有しながら自国の映画や映像を保存している。国内も各地にアーカイブがあり、映像や歴史証言を保存、鑑賞できることが豊かで合理的な役割分担といえる。

 劇映画だけでなく、アマチュアのホームムービーも公的な記録から漏れ落ちたさまざまな視点が入っていて貴重だ。家族が残した映像が地元の祭礼や街並み、暮らしを撮った最古の映像だったということもある。そうした映像記録はその地域で残すのが最も幸せだろう。普及したビデオテープは、再生装置の生産が終わっており、デジタルファイル化を急ぐ必要がある。

 日本映画社が原爆被災を記録した映画「広島・長崎における原子爆弾の影響」(1946年)をはじめ、被爆地にとって重要な映像を収蔵し、発信する拠点が広島にあることは世界的にも大きな意味を持つ。

 新しい収蔵庫を備えた拠点ができれば、多くの資料や情報が集まり、対応する活動も求められるだろう。常勤のアーキビストの存在も重要になる。移転して終わりではなく、そこから始まる。映像保存が持つ意義を含めて理解し、次世代につないでほしい。

広島市映像文化ライブラリー移転計画
 2021年、市は中央図書館、こども図書館とともにエールエールA館(南区)へ移転する案を提示。かねて中央公園内での集約が検討されていたため、議論不足を指摘する声が市議会や市民から相次いだ。候補地の比較検討などを経て今年3月に移転が決まった。こども図書館は現在地に残す方針に変えた。

(2023年5月20日朝刊掲載)

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