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社説・コラム

『書評』 学校で戦争を教えるということ 角田将士著 今 「自分ごと」と考える

 先日、大阪で原爆孤児友田典弘(つねひろ)の語りを聞く機会があった。あの日、9歳で家族を失い、自宅に間借りしていた朝鮮半島出身の靴職人と一緒にソウルに渡る。路上生活も朝鮮戦争も経験し、1960年に帰国。大阪で家庭を築きながらも郷里を忘れず、晴れて昨年、母校の広島市袋町小から修了証書を受け取った。

 かくも数奇な半生を送った人を寡聞にして知らない。極めてシンプルな「戦争はあかん」という口癖が幾つもの世代を超えて重く響くのだ。

 「もしも、ぼくがお母さんやお父さんをなくしてひとりになったら、どうしたらいいのだろう」

 本書の冒頭で引用された新聞投書の一節である。ロシアによるウクライナ侵攻を憂えた一人の小学生の声。友田は78年前孤児になったが、今のウクライナでもミサイル攻撃によって同じような悲劇が起きている。戦争は歴史ではなく「自分ごと」にほかならない。

 戦後の日本で生まれた教科=社会科を生かして「戦争と平和」を今どう教えるか。これが教育学者である著者の問題意識だろう。具体的な授業プランも収録されていて教員向けではあるが、それにとどまらぬ示唆に富んでいる。

 日本人にとって戦争体験は風化する一方だ。体験者の語りを重視する授業はむろん多いのだが、戦争体験への評価が変容していくことも踏まえなければならないという。

 著者は職場である立命館大の「わだつみ像」を例に挙げる。戦没学徒兵の著名な遺稿集「きけわだつみのこえ」から生まれた不戦を誓う像でありながら、学生運動が激化した69年に無残にも破壊され、後に再建された。その背景を考えさせる高校「歴史総合」の授業プランを提案しつつワンパターンに陥りがちな思考からの脱却を説いている。

 著者はまた「新しい戦争」に対応した授業の必要性を提唱する。ロシアやスーダンなどで準軍事組織が台頭していることからも分かるように、現代の戦争は国家による「総力戦」から大きく変貌していよう。その原因を突き止めなければ平和構築は実現できない。著者は広島大大学院教育学研究科助手を経て現職は立命館大産業社会学部教授。(佐田尾信作・客員特別編集委員)

学事出版・2420円

(2023年5月21日朝刊掲載)

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