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連載・特集

緑地帯 新田玲子 私のアメリカ文学研究①

 私が生まれた1954年、故郷尾道は戦争から立ち直りかけたところで、山陽線にはまだ蒸気機関車が走り、買い物には、ポンポン船と呼ばれた、発動機を用いた木造船で、向島の日立造船所生協まで出かけていた。

 その後市内にスーパーができ、フェリーが走り、尾道も少しずつ近代化されてゆく。だがやっと普及しかけたテレビに映るアメリカは夢のような未来世界で、立体交差の高速道やオープンカー、ハンドフリーの電話などが、強い憧れをかきたてた。

 10歳になった1964年、日本人の海外渡航が自由化されたときも、一般労働者家庭の娘には、海外旅行はまだ、夢のまた夢だった。家の上空を初めてよぎった銀色の機体を羨望(せんぼう)の眼差(まなざ)しで見上げた日、母は笑いながら、「一生懸命勉強したらアメリカで学べる奨学金がもらえるんだって」と言った。

 母が冗談半分で口にした言葉が私の学習熱に火を点(つ)けた。そして、「いつか、きっと」と願い続けて十数年、広島大学大学院文学研究科博士課程前期に入ってやっと、日本政府の奨学金を得てミシガン大学で1年間学べることになった。

 留学中は専攻していたアメリカ文学のさまざまな知識を広く吸収したかった。しかし指導教授から、外国人学生が1年で習得できる量には限りがあるから、もっと範囲を絞るようにと助言され、第2次世界大戦後のアメリカ文壇で活躍が著しかったユダヤ系アメリカ作家を中心に研究することになった。(にった・れいこ 広島大名誉教授=長野県)

(2023年5月23日朝刊掲載)

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