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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] サミット後の被爆地 世界の市民社会と幅広い連携を ANT-Hiroshima理事長 渡部朋子さん

 広島市で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)は核兵器廃絶への道筋が示されず、失望感も広がる一方で国内外の市民活動と被爆地との新たな接点が生まれた。市民社会の視座でこのサミットに提言してきた広島のNPO法人ANT-Hiroshima理事長、渡部朋子さん(69)に被爆地が今後、どのように発信を強化すればいいのかを聞いた。(論説主幹・岩崎誠、写真・山田尚弘)

  ―サミットが終わりました。率直な感想はどうですか。
 初日の「広島ビジョン」、あれは何ですか。失望と落胆で涙が出ました。「核兵器はそれが存在する限りにおいて防衛目的のために役割を果たしている」というレトリックは核兵器が永遠に存在する、ということ。しかも核兵器の使用を止めてきた被爆者の努力や核兵器禁止条約には一切触れず、ロシアや中国には矛先を向けるだけでG7側の核軍縮は書いていません。

 サミットの場は政府だけでつくったのではありません。おもてなしの心や経済振興への期待もありましたが、市民、県民が力を合わせ、厳しい規制に耐えたのも「核なき世界」を期待したからであり、決しておとなしい羊ではありません。広島ビジョンは裏切りです。ですが被爆地は何度も失望を繰り返してきました。負けてたまるかと、もう立ち上がっていますよ。

  ―G7サミットへの公式な提言の場の一つである「C7」に加わり、市民社会の声を届ける行動をされてきましたね。
 世界のさまざまな最前線で働く市民社会の人たちが核兵器の問題を深く考え、手をつなぐことができ始めたことは大きな成果だと思います。今回、C7のワーキンググループとして核兵器廃絶が初めて入り、政策提言しました。来年以降のサミットでも引き継がれ、市民社会の大きな課題として議論されるでしょう。C7としてのサミットの総括評価は「雨のち曇り」でした。全てはこれからです。足元で市民活動をする人たちとつながり合い、もっと声を上げていきたいと思います。

  ―サミットを踏まえ、どんな視点を持つべきでしょう。
 C7に加わるグローバルサウスの国も含めて「核なき世界」が世界共通の声になりつつあるのは確かです。私たちも彼らの問題に関心を持たなければなりません。核兵器、気候変動、貧困、人権、植民地主義、レイシズム(人種主義)、そして世界を覆う暴力…。根っこは同じです。特に気候変動は深刻で、例えば核実験が行われたマーシャル諸島やキリバスも水位が上がっています。気温の上昇で作物ができない国もあります。

 私はパキスタンのペシャワルに7回行き、医療支援などを続けています。昨年起きたパキスタンの大洪水の被害に対しても必死で支援していますが、ウクライナの戦争で食用油が高騰し、経済はがたがたです。ヒロシマは核のない世界を願いながら、こうした世界で最も苦しむ人に寄り添い、平和が脅かされる人々と共にある街であり続けたいと思っています。

  ―それは被爆者自身というより、続く世代の役割ですね。
 被爆者の皆さんは核兵器廃絶をこれまで通り訴えてほしい。核が使われればどうなるか、教えてくれるかけがえのない存在だからです。絶望に耐え、痛みを伴いながら「核兵器と戦争はいけん」と言い続けたから次の核戦争を食い止められました。私の場合も被爆した93歳の母が子を産み、育ててくれたから今があり、命がつながっています。いま責任があるのは団塊の世代でしょう。やるべきことをして次の世代につなぐ努力をせずにヒロシマの市民だとは胸を張って言えないはずです。

  ―具体的な目標は。
 やはり日本政府が核兵器禁止条約を批准することです。まずはオブザーバー参加し、世界の核被害者の支援にリーダーシップを取り、環境の保全や修復に乗り出すことです。それに向けて市民社会が大々的なキャンペーンを図るべきです。サミットを通じて当事者は広島だけでなく世界に広がりました。サミットに参加した国々の首脳は原爆資料館で核への思いを記帳しました。彼らの言動に目を凝らし、方向を間違えば「おかしい」と言わなければなりません。

■取材を終えて

 被爆2世の渡部さんは、かつて市民活動を共にした三十数年来の知人だ。世界とヒロシマを結ぶ市民ネットワークの軸にいることは、やはり心強い。 わたなべ・ともこ
 広島市中区生まれ。広島修道大卒。1989年に「アジアの友と手をつなぐ広島市民の会」を設立。2007年からANT―Hiroshimaに衣替えした。被爆証言の発信や佐々木禎子さんを題材にする絵本の出版など、多彩な平和活動、途上国支援を続ける。母の上野照子さんは看護学生として原爆投下直後から救護活動をした。

(2023年5月24日朝刊掲載)

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