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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 松本大典 サミットと海外メディア

飽くなき願い 共有したい

 広島市で19~21日に開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、広島県立総合体育館(中区)に設けられた国際メディアセンター(IMC)には国内外の約5千人の記者たちが集った。被爆地での歴史的なサミットを各国へいかに伝えるのか、「核兵器のない世界」を望む地元市民の願いはどう映っているのか―。異国の「同業者」の受け止めが知りたくて、連日通った。

 首脳討議や平和記念公園訪問などの公式行事は、警備を理由に現地での取材人数が大幅に制限された。国際会議ではお決まりの対応らしい。IMCは取材陣の詰め所であり、情報収集や原稿執筆の場でもある。

 650席分の共用ワークスペースでは、昼夜を問わず喧噪(けんそう)が広がった。激しく意見を交わしながら作業するグループもあれば、パソコンに向かって黙々と記事を打ち込む集団も。仕事ぶりにお国柄がにじむ。

 手の空いていそうな人に声をかけてみた。多くは「被爆地から平和のメッセージを発信するのは意義深い」とにこやかに語る。岸田文雄首相が平和記念公園で各国のリーダーを迎え、原爆慰霊碑にそろって献花した際には中継映像を流すモニターに記者やカメラマンが群がった。

 広島の街を歩き、被爆者に接した記者たちは、原爆被害の実態や復興ぶりに心打たれたようだ。フランスのAFP通信のセリム・シュタイツィヒさん(28)は「原爆投下の重い歴史を感じる」とかみしめた。

 ただ、サミットの議題で一番の関心事を問うと、ロシアによる侵攻が続くウクライナへの支援を口々に挙げた。核なき世界を巡る議論は二の次で、「進展が期待できない」と冷ややかにみる記者も。初日の討議でまとまった、核軍縮に関する「広島ビジョン」の中身に新味はなく、お見立て通りと言うほかない。

 米国出身のメディア関係者からは逆にこう問われ、閉口した。「核廃絶、核廃絶と、ずっと同じことを言い続けて、飽きないのか」。被爆地との隔たりは依然大きい。「飽くなき願い」を誰もが共有できるよう奮起せねばと痛感した。

 ウクライナのゼレンスキー大統領が電撃来日すると、核廃絶・核軍縮へのメッセージはさらに埋もれた。IMC内では、3回にわたって被爆者の証言の場も設けられた。しかし、3回目はゼレンスキー氏が平和記念公園を訪れる時間と重なり、参加者は定員の20人に満たなかった。

 フランスやスイスのラジオ局と新聞社の特派員を兼ねる西村カリンさん(52)は被爆者の証言を熱心に聞いた後、「記事を書くつもりだが、要らないと言われるかも…」とこぼした。被爆者が人生の使命として語る体験を、外国語に翻訳して異国の人々に伝える難しさも口にした。

 最終日は象徴的だった。ゼレンスキー氏の一挙一動を映し出すモニターに人だかりができたのに対し、サミット議長の岸田氏の記者会見に見入る外国人記者はわずか。主役の座をさらわれた感は否めない。原爆慰霊碑前での記者会見と同じ頃、ゼレンスキー氏はバイデン米大統領と市内のホテルで会談。バイデン氏は欧州の同盟国による米国製F16戦闘機の供与を認める考えを伝えた。

 ドイツの新聞やラジオに記事を提供するリル・フェリックスさん(37)の見方には、ドキッとさせられた。「結局、対ロシアの軍事協力を強めるサミットになってしまった。広島が悪用された面もあるのでは」

 フランスのニュース専門放送局でアラビア語チャンネルのリポーターを務めるナジーブ・エルカシュさん(49)も「G7が広島で『平和のために戦闘機の供与が必要だ』とアピールした」と顔をしかめる。「平和、平和と訴えるだけでは、都合よく利用されやすい。平和のために何が大事かを発信し続けないと」と話してくれた。

 今回のサミットは、核なき世界への道のりの困難さも映し出した。それでも「広島が転機だった」と後々語られるよう、核廃絶と不戦の訴えを一層強めなければならない。

(2023年5月25日朝刊掲載)

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