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連載・特集

緑地帯 新田玲子 私のアメリカ文学研究③

 日本人は存外、キリスト教の影響を受けている。たとえば、日本人の多くはイエスという人物をキリスト(救世主)と呼びがちで、中にはそれをイエスの姓と誤解している人もいる。そして、この呼び方がイエスを救世主と見なすキリスト教的表現だと意識する人は、ほとんどいない。

 こうしたことはクリスマスを祝う日本の習慣同様、大概は無害と言ってよい。しかしユダヤ系アメリカ文学を専門に研究しようとする者が、ユダヤの宗教や習慣、歴史を知らないではすまされない。

 これについて友人Kに相談すると、近くのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が教育施設を併設していて、受講したからといって改宗を迫られることはないと教えてくれた。問い合わせると、年明けに3カ月の初歩ユダヤ教セミナーが始まるというので、さっそく申し込むことにした。

 セミナーではまず、「聖書」(キリスト教での「旧約聖書」)の成り立ちを学んだ。ユダヤ人は紀元前586年のバビロン虜囚により、国を持たない民族離散の状態に陥る。この状態が長引くなか、ユダヤ人が人間らしく、ユダヤ人としての誇りを保って生き延びるには心のよりどころが必要になった。このために紀元前5世紀ごろ、それまで口承で伝えられてきたユダヤの歴史の成文化が試みられ、以後500年をかけてユダヤ知識人が知恵を絞って完成させたものが、「聖書」だった。それ故、そこに記された歴史や教義には、民族離散がもたらす困難にユダヤ人がユダヤ人らしく立ち向かうためのさまざまな秘策が埋め込まれていた。(広島大名誉教授=長野県)

(2023年5月25日朝刊掲載)

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