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栗原貞子の直筆 新資料 広島の旧宅 メモや日記100点余り 創作過程を裏付けか

 「生ましめんかな」の詩で知られる原爆詩人栗原貞子(1913~2005年)が暮らした広島市安佐南区長束の旧宅で、創作メモや日記など未公開の直筆資料100点余りが見つかった。専門家は、栗原の思想や創作プロセスを裏付ける貴重な資料とみている。(桑島美帆)

 旧宅は1968年ごろ建てられた木造2階建てで、栗原が他界するまで暮らした。2012年に長女の真理子さんが亡くなって以来空き家となり、近く取り壊されることが決まったため、今月中旬、市民団体「広島文学資料保全の会」の土屋時子代表(74)たちが調査に入った。

 直筆のメモ帳や日記類、講演原稿などが大量に出てきたほか、「護憲」と書かれた旗、平和イベントを録音したカセットテープ、真理子さんへ宛てた遺書の写しもあった。遺書によると、栗原は「無駄な延命治療などせずに安楽死させて下さい」と医師に頼んでいた。被爆から50年を振り返り「思へば多くの先輩友人に支えられてエッセイ集五冊、詩集十冊を出版することが出来ました」ともつづっている。

 栗原は、旧宅と同じ場所にあった自宅で被爆。代表作「生ましめんかな」では、被爆直後の混乱の中で生まれた命の尊さをうたう。広島大名誉教授の岩崎文人さん(78)は「戦争の非人間性を正確に見据え、戦後は軍都広島と被爆都市ヒロシマの二面性を見ていた」と分析。「新資料から栗原を支えた精神や創作過程が読み解ける可能性がある」とみる。

 今回の資料には未発表の詩もあるとみられ、今後、広島文学資料保全の会などが詳しく調査。大半を広島女学院大(東区)の栗原貞子記念平和文庫へ寄贈する。孫の内藤みどりさん(千葉県八千代市)は「遺品を守ることができ、ほっとしている。グローバルな視点で詩を紡いだ祖母の思いを引き継いでほしい」と願う。

(2023年5月26日朝刊掲載)

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