×

連載・特集

仮面の罠(わな) 断て特殊詐欺 被害回復の壁 <上> 末端逮捕 でも戻らぬお金

被爆者 ためた手当失う

 「いつ大きな病気になるか分からない。生活が苦しくても一度も手を付けなかったのに…」

 4月下旬、広島市内の市営住宅の一室。80代女性が涙で声を詰まらせ、記者に打ち明けた。昨年11月に特殊詐欺の被害に遭い、現金440万円を失った。60年間ためていた被爆者健康管理手当の一部だった。

 78年前のあの日、爆心地から約3キロの路上で被爆した。2歳上の姉と一緒に通学中だった。家族7人で暮らす自宅は吹き飛ばされ、3カ月ほど野宿した。20代前半で結婚し、3年後に被爆者と認定された。

介護も子育ても

 苦難の人生だった。30代に入った時、同じく被爆者の夫が入退院を繰り返すようになった。自身も胆のうなどに持病がある中、仕事と介護、息子2人の子育てを一手に抱えた。

 朝4時に起きて新聞や牛乳を配った後、スーパーの店頭に立った。夕方からは喫茶店で深夜まで働き、その合間に帰宅して家事をこなした。足を悪くする70歳まで40年近く、そんな暮らしが続いた。

 「うどんを食べたつもりでパンの耳をかじり、電車に乗ったつもりで歩いて帰宅していました」

 13年前に夫を亡くしてから1人暮らし。生活費は年金と夫の遺族年金で賄っている。3種類の豆をブレンドする自家焙煎(ばいせん)のコーヒーが唯一の楽しみだった。

 だが、穏やかな老後は一本の電話で一変した。昨年11月7日、警察官を名乗る男から「ATMでキャッシュカードが悪用された。金融機関から情報が漏れたようだ」と言われた。カードを替えるために別の警察官が家に来るという。男と電話中に若い女が訪れ、カードを持ち去った。

苦労が水の泡に

 「最近50万円が何度も引き出されている」。金融機関から電話を受け、確認すると440万円が消えていた。犯行は4日間。「人生の大半をかけてためたお金が一瞬でやられた」―。怒りや情けなさで、しばらく眠れなかった。

 1カ月ほど後、犯行に関与したとして20代の男女が逮捕された。男は「闇バイト」で加担した現金回収役という。女は女性宅を訪れた「受け子」だった。いずれも特殊詐欺グループの末端で、いわば使い捨ての存在だ。

 回収役の男は、受け子の女が女性のカードで引き出した440万円を岡山県内で受け取り、大阪府内に運んだとされる。その後、裏で糸を引く主犯格の手に渡ったとみられる。

 女性は警察からの連絡で男の逮捕を知った。2月から3回、広島地裁で開かれた公判を傍聴したが、奪われた金の行方などは分からなかった。一方で、男の神妙な表情が印象に残ったという。「お金がなくて苦しかったのか。でも、戦後はお金も物も何もなかったんですよ」

 被害から半年が過ぎた。手当が振り込まれる口座の通帳を開くたび、印字された出金記録が目に入る。逮捕された末端2人からは今のところ一円も戻っていない。相手の対応を待つこと以外、女性にはなすすべがない。

    ◇

 お年寄りの大切な資産を奪い去る特殊詐欺。ひとたび犯人に渡った金を取り戻すのは極めて難しい現実がある。財産的な被害の回復を阻む壁とは何か。現状や課題をみる。(特殊詐欺取材班)

(2023年5月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ