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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 「空白の天気図」といま 被害の全体 迫り学ぶ姿勢を ノンフィクション作家 柳田邦男さん

 ノンフィクション作家の柳田邦男さん(86)=東京都=は戦争、災害、事故、さまざまな切り口で命の問題に向き合い執筆を続けてきた。折しも国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で、原爆投下直後の広島地方気象台員の苦闘を軸にした、柳田さん監修の企画展が開催中である。地球上には災害や戦禍が絶えず、命が危機にさらされている人も少なくない。「空白の天気図」がいまに問いかけるものとは―。(ヒロシマ平和メディアセンター・森田裕美、写真・高橋洋史)

  ―1975年の著書「空白の天気図」は原爆と枕崎台風という二重の災厄に襲われた広島を気象台員たちの姿を通し描いています。出発点はNHK記者としての広島勤務だそうですね。
 被爆から15年以上たった60年代には、がんなど顕在化してきた原爆後障害の取材が中心で、被爆直後の台風災害には目が向いていませんでした。被爆による通信途絶で警報も出せない中、巨大台風の直撃という複合災害の重大性に気付いたのは、東京に異動後、災害を専門にしてからです。

  ―何がきっかけでしたか。
 気象研究者の根本順吉さんから気象災害史について教わり、さまざまな災害報告書を貸してもらった中に広島管区気象台(当時)がまとめた枕崎台風の調査報告書があったのです。台員たちが被災地を歩き住民の証言を聞き取った踏査記録はリアルで迫力があり心を打たれました。

 刻々の現象を欠かさず観測し調査して記録に残す「観測精神」が息づいていました。かろうじて生き残った被爆者たちが病院ごと犠牲になった土石流の記述を読んだ時、この二重災害の詳細を調査した台員たちの労苦と共に掘り起こし、未来に生かす作品を書こうと決心しました。74年に退職後、書き上げました。台員たちの行動は現代への警鐘でもあります。

  ―どういう意味ですか。
 効率化を求める現代では事故でも災害でも統計的データに頼りがちで、現場を踏んで「人間の被害」の全容を解明する調査が十分とはいえません。気象台員たちは生身の人間の証言を残している。災厄発生時の生々しい状況や言葉はその時しか出てきません。そういう証言は歳月がたつほど重みを持ちます。

  ―教訓を読み取れますね。
 「歴史は繰り返す」と言われますが、全く同じことが繰り返されるわけではありません。時が流れれば国内外の政治や経済状況も変わり、原因や背景も複雑化します。災厄は複雑化して繰り返すのです。だから災厄を単に起こったことの範囲内で考え、「繰り返してはならない」とスローガンのように唱えるのでは意味がありません。原因や背景を分析し、検証した上で伝えていかなくてはなりません。

  ―ロシアによるウクライナ侵攻で核使用が取り沙汰され、人類はヒロシマから学んでいないと感じます。
 核使用の可能性を巡ってテレビなどで政治家や識者が議論していますが、「核危機だ」と強調しても戦局の話ばかり。実際に使用されたら地球と人間はどうなるかは語られません。広島型原爆の千倍もの威力を持つ核ミサイルが使われたら、モスクワもパリもロンドンも消滅するのだというリアルなシミュレーションの提示がなければ戦争は止められないでしょう。

  ―ロシアはウクライナの原発も攻撃しました。
 戦争と原発炎上、放射性物質の拡散という複合的な災厄が起きれば、もはや人間の手に負えません。原爆で痛めつけられて間もなく枕崎台風に襲われた広島から学ぶべき教訓はまさに複合災害の恐怖です。

  ―現状を変える道筋は。
 半世紀以上取材をしてきて痛感するのは、災厄は発生時のみならず何十年たっても影響が続くということです。その時間軸も含めた全体像を俯瞰(ふかん)して初めて、私たちは何をすべきか浮き彫りになります。被害から目をそらさずに記録し分析し、何を学ぶかが意味を持ちます。核や戦争という人類規模の問題に直面しているいま、「観測精神」の歴史的・哲学的意味がますます重要性を増しています。

■取材を終えて
 柳田さんは「戦争は人の命を無人称にする」と、政治行政に「二・五人称の視点」の必要性を説く。三人称の冷静さや客観性を保ちながら二人称で命に寄り添う。「空白―」の気象台員たちの姿はまさにそれである。

やなぎだ・くにお
 栃木県生まれ。東京大卒業後、NHKに入局。1960~63年記者として広島で勤務し10年余をかけ「空白の天気図」執筆。73年「マッハの恐怖 連続ジェット機事故を追って」で大宅壮一ノンフィクション賞、95年「犠牲―わが息子・脳死の11日」とノンフィクションジャンル確立への貢献で菊池寛賞。東京電力福島第1原発事故を巡る政府の事故調査・検証委員会委員も務めた。

 企画展「空白の天気図 気象台員たちのヒロシマ」は来年2月末まで。

(2023年5月31日朝刊掲載)

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