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社説・コラム

言ノ葉ノ箱 東直子 一緒に生きてきた街で

 5月12日、G7広島サミット開催を1週間後に控える広島を訪ねた。「神奈川県警」「北海道警察」といったワッペンを付けた全国の警察官を街中で見かけた。私が来たのはサミットとは関係がなく、翌日に広島市立安佐北区図書館で「一緒に生きる」というタイトルでの講演を行うためである。早めに広島入りをして、図書館の方に広島市内の図書館を案内していただいた。

 5―Daysこども図書館では、赤い帽子に赤い靴、青い洋服を着たブックルという名前のかわいいキャラクターがあちこちで目を引く。この図書館は、原爆投下によって壊滅的な被害を受けた広島の子どもたちへ、ハワード・ベル博士を通じアメリカ合衆国から絵本など1500冊が贈られたことがきっかけとなって建てられたとのこと。「ベル・コレクション」として館内にその一部が展示されていた。英語の絵本ばかりだが、モダンな色のかわいい絵を当時の子どもたちも楽しんだことだろう。元の持ち主の痕跡もあり、人の手から手へ手へ渡っていく紙の本のあたたかみを感じたのだった。

 広島出身の児童文学者の那須正幹さんが若かりし日にお姉さんと一緒に作った「きょうだい」という同人誌もあった。奥付は昭和47年7月1日。変色した紙の色もいとおしい。

 図書館の行事や館内作業をサポートする中学生・高校生の会による「リブサポ」メンバーによる手作りの本の紹介も個性的で、胸が高鳴った。私は安佐北区で生まれ、乳児期のうちに県外に転出したあと小学5年生の時に再び広島に移り住んだ。こども図書館の存在に気づかないまま中学2年の終わりに転出してしまったことが悔やまれる。

 広島市立中央図書館には「広島文学資料室」があり、鈴木三重吉編集の児童雑誌「赤い鳥」がずらりと並べられたコーナーなど、とても見ごたえがあった。

 5月13日の講演当日は、安佐北区の地元の人など70名(満席)の参加者を得て、短歌や文学の話を楽しくさせていただいた。かつて暮らした街に戻り、今そこで暮らしている人と会えたこと。その上、好きな文学の話ができるということは、しみじみ幸福でありがたいことだった。

 講演の翌日は横川シネマを訪ねた。懐かしい気配のただよう横川の街にある映画館は、壁に個性的な絵が描かれている。この日は、昨年鬼籍に入ったジャンリュック・ゴダール監督の特集をしていて、私は「はなればなれに」を観(み)た。登場する破天荒な若者たちの中にはもうこの世にはいない人もいるが、モノクロの映像の中で未来への不安を抱え、生き生きともがいていた。旅のほてりの中で観た映画は、きっとずっと記憶に残るだろう。

 実は昨年、私の短歌が原作の映画「春原さんのうた」(監督・杉田協士)を横川シネマで上映していただいたのだ。さらにその後、娘の東かほりが監督した「ほとぼりメルトサウンズ」も上映された。強いご縁を感じ、支配人の溝口徹さんとも少しお話をした。

 新たな広島の記憶ができてうれしい。

  かの家の玄関先を掃いている少女でいられるときの短さ 東直子

(歌人・作家)

(2023年5月31日朝刊掲載)

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