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連載・特集

緑地帯 新田玲子 私のアメリカ文学研究⑤

 長い歴史上、ユダヤ人が自身の国を持っていた期間はごく短く、異教徒の間での暮らしはしばしば迫害に脅かされた。

 たとえばロシアのピョートル大帝は国の発展を促すために先進的知識を持つユダヤ人を重用し、この時期に多くのユダヤ人がロシアに流入する。だが帝が亡くなると徐々にユダヤ人への弾圧が強まり、職業や居住地が制限されて、不自由で貧しい暮らしを強いられるようになる。そして、19世紀末にはポグロムと呼ばれる暴力的迫害が頻発し、ユダヤ人はロシア国内に住めなくなってゆく。

 1859年、この帝政ロシア、現在のウクライナに生まれ、当時のユダヤ人の日常語、イディッシュ語を用いて活動した作家、ショーレム・アライハムは、牛乳屋のテヴィエを主人公とした一連の物語を仕上げた。この物語が祖先の生活をしのばせる懐かしさにあふれていると言って、友人Kは私に最初の一編を読み聞かせてくれた。そして、これらの物語に基づいて1964年に制作されたミュージカル、「屋根の上のバイオリン弾き」の映画に誘ってくれた。

 アイザック・スターンが奏でるバイオリンのリリカルな音色に加え、日没と競いながら始まる安息日の集いや、天蓋(てんがい)のもと、ろうそくを手にした人々に囲まれて執り行われる結婚式など、この映画には感銘深いユダヤ的場面が数多く描かれる。だが私がもっとも心打たれたのは、どんな苦しい時にもユーモアを忘れず、自身の貧しさやつらさも笑いの種にし、生きることを徹頭徹尾祝福する、ユダヤ人の力強い生きざまだった。(広島大名誉教授=長野県)

(2023年5月31日朝刊掲載)

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