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ジャック・ロンドンの付き人に迫る 周防大島ハワイ移民のナカタ 日記など現存

山口大・藤原准教授「作家の異文化理解に影響か」

 貧しさゆえ少年の頃から破天荒な人生を送り、「野生の呼び声」「白い牙」などの小説で20世紀初頭に人気を博した米国の冒険作家ジャック・ロンドン。その付き人だった山口県周防大島出身のハワイ移民一世が、作家の異文化理解に影響を与えたとする説が浮上している。山口大の藤原まみ准教授(比較文学・比較文化)が米側の依頼を受け、日記などを手掛かりに2人の交流の足跡を追っている。(客員特別編集委員・佐田尾信作)

 この人物は1889(明治22)年周防大島の属島・沖家室(おきかむろ)島で生まれた中田由松(ヨシマツ・ナカタ)。16歳でハワイに渡り、ロンドンが南洋への冒険航海を企てた帆船のキャビンボーイとして現地で雇われる。帰航後もカリフォルニア州のロンドンの農園に住み、1916(大正5)年にあるじが40歳で逝く直前まで7年間仕えた。その後はホノルルで歯科医院を開業し67年に78歳で死去した。

 「馬に乗った水夫」などロンドンの評伝には中田の名前が散見される。死期を悟ったロンドンが、海外の旅で危険に遭遇した時も離れずにいてくれた―と中田に感謝する一節がある。読み書きを教えてもらい息子のように遇してもらった―と中田も応じている。しかし中田の来歴や生涯をたどる記述は見つからず、謎めいた人物とされてきた。

 藤原さんは同大「山口学研究プロジェクト」の一環として大正から戦前昭和にかけて沖家室島と島外在留出身者を結んだ雑誌「かむろ」を調査中、中田の消息に気付いた。14(大正3)年の号に「冒険小説家の大家ジャックロンドン氏の宅にあり」とあるほか歯科大学を終えたこと、郷里にピアノを贈った一人であることなどが分かり、調査の中間報告を昨年まとめた。

 一方、相前後して藤原さんはロサンゼルスの女性ライター、アレタ・ジョージさんから公立図書館で保存されていた中田の日記の翻訳と解読を依頼された。日記は09年から日英両語でつづられ、ロンドンの身近にいた時期を含んでいる。

 アレタさんは4月に来日して沖家室島の浄土宗泊清寺を訪ね、中田が名前を残した寄進札やホノルル沖家室人会に顔を見せた折の写真などを確認。幕末以降、出稼ぎ漁が盛んになり、ハワイや朝鮮、台湾への移住に発展した島の歴史を「かむろ」の復刻も手がけた新山玄雄住職に取材した。

 ロンドンは日本とは浅からぬ縁がある。デビュー作は漁船員として北海道沖で遭遇した台風を題材にした短編。日露戦争では従軍記者として日本や朝鮮を旅したが、当時は日本に好印象は抱いていないようだ。

 藤原さんは中田がロンドンの異文化理解に影響を与えたキーマンではないかとみる。「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が松江で教え子や住民をインフォーマント(資料提供者)にしたように、ロンドンも身近な日本人に学ぶところがあったのでしょう」と藤原さん。日本人の心性について理解できない部分も自覚していたハーンを「日本理解の達人」と紹介する随筆が残っている。

 ロンドンは自らの行動を約100冊の写真帳に残し、現在は米側のデジタルアーカイブから陽気でタフな印象の中田の姿も多数検索できる。黄禍論(黄色人種を排斥する主張)がまん延した時代ではあるが、海と島に親しんで育った青年の人柄や知恵が白人作家の琴線に触れた可能性はあろう。

 中田は筆まめだったようで、藤原さんは今後、日記の解読と合わせて未復刻の「かむろ」を精査する。またハワイや米本土の日系新聞に中田が寄せた文章を渉猟し、生涯にわたるロンドンへの思いを探っていく。

ジャック・ロンドン(1876~1916年)
 サンフランシスコ生まれ。幼くしてカキ密漁やアザラシ狩りなどの稼業を転々とし、作家の道へ。1903年、一頭の犬を主人公にした「野生の呼び声(荒野の呼び声)」がヒット作に。北米、南米から太平洋までたびたび冒険旅行に出て題材を得た。社会主義者を自認し、ヒトラーの出現や未知の感染症を予見した小説でも知られる。「野生の呼び声」は近年も映画化され、ハリソン・フォード氏が主演。

(2023年6月1日朝刊掲載)

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