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社説・コラム

社説 「はだしのゲン」誕生50年 麦のような強さ 見習おう

 原爆投下で焼け野原になった広島でたくましく生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」が誕生して、今月で50年になる。

 原爆がいかに非人道的かに加え、被爆者が戦後味わった苦難が率直に伝わってくる。実体験を踏まえた描写や鋭い視点で原爆漫画の頂点に立つ。だからこそ今日まで読み継がれ、なお読み続ける必要があるのだろう。

 つらいテーマの漫画なのに明るさは失われない。ゲンのたくましさもあるが、何度も出てくる「麦のようになれ」との父の教えが印象に残る。再三踏まれても強く大地に根を張り、真っすぐ伸びて実を付けるからだ。

 6歳の時に被爆した故中沢啓治さんが自身や家族らの体験を基に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始。中断や掲載誌変更を経て1987年まで14年にわたり描き続けた。単行本や絵本はロングセラーとなり、映画やアニメにもなった。20を超す言語に翻訳され、世界に広がった。高い評価の証しと言えよう。

 一方で、表現の生々しさは思わぬ反応を招く。10年前、松江市教委は「描写が過激だ」として、小中学校の図書館で子どもに自由に手に取らせないよう、閲覧をいったんは制限した。

 地元の広島市教委も今年、市立の小中高校で使う平和教育プログラムの教材「ひろしま平和ノート」の小学生向けから「ゲン」を削除した。時代が変わって子どもに伝わりにくくなった場面は、あるのかもしれない。

 それでも、原爆や戦争はもちろん、人間の尊厳を踏みにじるもの全てに対するゲンの怒りは至極まっとうである。

 原爆を落とした米国への批判だけではない。無謀な戦争を始めた日本の指導者の戦争責任に対する視線も厳しい。戦争に加担した反省のないまま、戦後、態度を百八十度変えた大人たちにも辛辣(しんらつ)な目を向けている。

 そんな被爆者の怒りが、読むにつれ胸に染みてくる。ヒロシマの原点ともいえる思いであり、どれだけ歳月が過ぎても、決して忘れてはならない。背景にある被爆者の苦難を私たちも理解して、怒りを共有したい。

 中沢さんと同様、ゲンも、父や姉、弟は原爆で倒壊した家の下敷きになって亡くなった。被爆直後に生まれた妹も、長くは生きられなかった。

 家族を助けられなかった悔悟の念に苦しむ被爆者や、犯罪に巻き込まれる原爆孤児もいた。放射線による体調不良に襲われ、死に至る人も多かった。

 掘り下げた描写で、差別をはじめ、心の醜さという人間の本質まで浮かび上がらせている。

 先月あった先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で被爆地が注目されている。国内外の人が「はだしのゲン」を読むことは、誕生から半世紀の今も大きな意味がある。原爆が人間や街に何をもたらしたか、知ってもらうことにつながるからだ。

 原爆投下から今年夏で78年になる。被爆者が減り、証言を直接聞けなくなる日はそう遠くない。風化がさらに進みかねないのに、核兵器保有国は、禁止条約ができても、廃絶はおろか、核軍縮にすら後ろ向きだ。

 それでも被爆地が諦めるわけにはいかない。「ゲン」に込められたメッセージを思い起こそう。何度踏まれてもくじけない麦のように、今後も強くたくましくあり続けねばならない。

(2023年6月3日朝刊掲載)

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