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連載・特集

緑地帯 細井謙一 お好み焼きが紡ぐもの③

 広島のお好み焼きはどこから来たのか。その起源は千利休が出した麩(ふ)の焼きという茶菓子だともいわれる。小麦粉を水に溶いて焼いたものに、みそを塗ったりして味付けしたもののようだ。これがさまざまな進化を遂げるわけだが、お好み焼きの直接の祖先となると、戦前から子供のおやつとして普及していた一銭洋食だ。昭和21年に広島駅前などの闇市に一銭洋食を売る屋台が誕生する。この年には米国から支援物資として小麦粉が提供される。学校でのパン給食もこの年に始まっており、小麦粉は食糧難の時代にあっても比較的入手しやすいものだった。

 お好み焼きという名前で呼ばれるようになるのは、昭和25年ごろからだ。広島市の中央通りが拡幅され、そこにお好み焼きを売る屋台が現れる。この屋台は中央通りに隣接する新天地公園にも増えていき、屋台村を形成するようになる。昭和32年には屋台村が西新天地公園に移転、お好み焼き以外の店も含めて約50店舗の屋台村となる。お好み焼きに中華麺が入り、肉玉そばという現在の形になるのもこの頃だ。昭和34年の焼きそばブームが背景にあるともいわれる。

 お好み焼きという名称は、お好みの名の通り、さまざまな具材が入ることから来るものだろう。一銭洋食は支援物資の小麦粉に簡単な具材を包むだけのもの。包む具材がなければ、生地にソースをつけただけで食べたこともあったといわれる。そこにお好みであれこれ具材が入り、おなかいっぱい食べられるようになる。そんなお好み焼きの成立自体が、広島の復興を象徴するものだったのだ。 (広島経済大教授=広島市)

(2023年6月13日朝刊掲載)

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