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「ゲン」翻訳者らが当時の逸話 連載開始50年でイベント

 「世界に羽ばたくはだしのゲン」と題したイベントが広島市中区のカフェ「ハチドリ舎」であった。原爆投下前後の広島を描いた故中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」が20以上の言語に翻訳されていることに着目したリレートーク。少年誌での連載が始まって50年を記念した企画の一環で、実行委員会が主催した。

 東京からリモート参加した編集者の大嶋賢洋(まさひろ)さん(73)は1978年、初の翻訳となる英語版を完成させた中心メンバー。20代だった76年に軍縮などを訴えて米大陸を横断する平和行進に参加したことが、翻訳に取りかかるきっかけになった逸話を披露した。

 一緒に歩いたり出会ったりした米国人の多くが「原爆のこと、核兵器のことをまるで知らない」。そこで日本からゲンの漫画本を急きょ取り寄せることを思い立ち、行進の終着点の首都ワシントンで参加者に回覧してもらった。「みんなくぎ付けになる。言葉では伝わらなかったことが伝わる。すごい力だと感動した」。翻訳しよう、という話が自然に持ち上がった。

 中沢さんからは「読んでもらうんじゃない。ゲンを突き付けるんだ。それならいい」と翻訳を許可されたという。大嶋さんは「若造の無謀な挑戦に耳を傾け、支援してくれる人がたくさんいた」と振り返った。

 トークでは、大嶋さんと一緒に初の英訳を担った米国人や、後にロシア語や中国語への翻訳を手がけたメンバー、漫画研究者たちも次々に語った。会場には中沢さんの妻ミサヨさん(80)も駆けつけ、「連載開始時に小学生だった読者が、今は孫を持つ世代。今もゲンを愛し、生かしてくれる人がいることに感謝です」と話した。(道面雅量)

(2023年6月13日朝刊掲載)

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