寄稿 イサム・ノグチ「幻の慰霊碑」 ハーバード大フェロー 光岡伸洋 共生のアーチ 地下に空間
23年6月15日
学生が模型作り 被爆者と対話
平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑は、建築家丹下健三氏(1913~2005年)のデザインで知られる。実は彫刻家のイサム・ノグチ氏(1904~88年)も設計したが、採択されることなく実現しなかった。そのノグチ氏の設計図を保管している米ハーバード大で今春、学生たちが「幻の慰霊碑」を模型で再現し、展示した。オンラインを通し、被爆者たちとの対話会も催した。
主に建築分野の環境デザインを研究するハーバード大デザイン大学院は、丹下氏の平和記念公園の設計図11点とともに、ノグチ氏の「幻の慰霊碑」の設計図5点(1952年)を保管・アーカイブ化している。2011年に、丹下氏の妻孝子さんが研究・教育に役立ててほしいと寄贈した。
ノグチ氏は、自然との調和を大切にした日系米国人アーティストである。戦後「広島で日米の平和共存の夢を託す仕事がしたい」とノグチ氏が願っていることを知った丹下氏は、広島市内の二つの橋と慰霊碑の設計を依頼した。
平和大橋と西平和大橋の欄干は52年、平和記念公園の南側に完成した。だが慰霊碑は、一部の反対を受け実現しなかった。ノグチ氏が米国生まれであったことが原因との見方もある。現在ある埴輪(はにわ)の家形の慰霊碑は、丹下氏がデザインしたものだ。
ノグチ氏の碑は、太い円筒のアーチ形で、地下空間をつくる設計。原爆の犠牲者を弔うとともに、人類が地球市民として、自然と共存共生していく願いを込めたともいわれている。気候危機などに直面し、持続可能な社会の在り方が問われている今こそ、ノグチ氏の目指した世界を見直す時機だと考える。
イベントを催すきっかけは、広島に帰省した時の体験だった。米国人の友人と平和記念公園を訪れ、ガイドを頼んだ友人からこんな話を聞いた。「日米に故郷を持ち、広島で平和の礎をつくろうとしたノグチ氏の設計が実現していないのは胸が痛い」。なんとかして幻の慰霊碑を再現しようという思いに駆られた。
米国へ戻ってすぐ、大学が保管する設計図を調査し、日米の識者や知人にノグチ氏の碑について話を伺った。同じ思いの方々が多く、学生たちも実現を願っていることを知った。今年1月、共同研究者の森川幸智子さんたち10人の仲間と企画書を大学に提出し、イベントが実現した。
慰霊碑の模型は設計図を基に、日米のほか、中国やタイ出身の学生4人で1カ月かけて制作した。廃材を利用し、高さ50センチの円筒のアーチ形を再現した。ノグチ氏が、生命の源の場所として設計した地下空間には、広島の被爆樹木のホログラムを配置した。
模型は、ハーバード大の「丹下健三パビリオン」に展示し、広島市の松井一実市長やイサム・ノグチ日本財団の益田美保子さんたちのメッセージ動画も上映した。数百人が訪れ、「地球とのつながりや神聖な空間を感じる」などの声があった。
オンラインで広島と結び、「地球の未来」をテーマに被爆者の森重昭さん(86)、佳代子さん(80)夫妻、広島YMCA名誉理事長の黒瀬真一郎さん(82)、被爆3世の並川桃夏さん(24)、ハーバード大の教員、学生たちの討論会も開催した。ダイアン・デイビス教授は「地球規模の視点で課題解決することを促すことができた。今後もヒロシマから学ぶ授業をハーバードで開設したい」と呼びかけた。
丹下氏とノグチ氏の協業に象徴されるように、広島の人々の多くは、悲しみや怒りを乗り越え、世界平和を訴えてきた。広島のどこかに、世界中の皆さんと地球の未来について語り合う「希望の庭」を造り、そこに「幻の慰霊碑」を設置するのが私たちの願いだ。ノグチ氏の遺志を後世へ伝えたい。
みつおか・のぶひろ
1978年、広島市西区生まれ。早稲田大大学院修士課程および北京大EMBA修了。NTTデータを経て、2017年外務省入省、外交官(1等書記官)。退官後、21年からハーバード大フェロー。専門は地球環境問題。米ボストン在住。
(2023年6月15日朝刊掲載)