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守り伝えた ヒロシマの記憶 泉美術館できょうから特別展 土門拳の写真やメディアの資料

 戦前の広島の街並みを捉えた絵画、原爆投下直後の海外の新聞記事、惨状を伝える戦後発行の写真集…。ヒロシマの歴史を物語る国内外の資料を集めた特別展「広島の記憶」が17日、広島市西区の泉美術館で始まる。約320点で、奪われた人々の暮らしや原爆報道の変遷に光を当てる。(福田彩乃)

 「今日もなお『ヒロシマ』は生きていた」。写真家土門拳(1909~90年)は、58年に発行した写真集「ヒロシマ」にそう記す。57年に初めて広島を訪れ、被害の爪痕に衝撃を受けた土門は、被爆者たちを熱心に取材した。会場には、皮膚移植を受ける女性や、胎内被爆した子どもたちを撮影した5点が並ぶ。

 土門が残した取材ノートの複製の一部も紹介。土門拳記念館(山形県酒田市)以外での公開は初となる。「広島に行って、驚いた。(中略)歯ぎしりしたいような憤怒を感じた」「撮影のすべてに国際的視点を保つこと」といった走り書きに、並々ならぬ熱意がにじむ。

 土門は被爆の実情を「知らされなさすぎた」とも語った。NPO法人「広島写真保存活用の会」の松浦康高代表(67)はその言葉を手掛かりとして、泉美術館とともに本展の企画を練ったという。「伝えられなかったヒロシマを浮き彫りにすることを目指した」。海外メディアの記録や連合国軍総司令部(GHQ)占領期の刊行物を並べ、プレスコードの痕跡を追う。

 45年8月7日の米紙ニューヨーク・タイムズは、原爆の破壊力を報じる。同31日に現地ルポを掲載したが、放射能に関する記載はない。やがて米国政府は、自国の原爆報道を事実上制限する。被爆者の生の声を伝えたジョン・ハーシーのルポ「ヒロシマ」が発表されたのは、1年後の46年8月だ。掲載誌「ニューヨーカー」の原本を展示する。

 占領下の49年に広島で完成した英語グラフ誌「HIROSHIMA」も紹介。現存数がわずかなのは、検閲を受け、ほとんど市中に出回らなかったためと推察されるという。鳥瞰(ちょうかん)図の名手で「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎の「原爆八連図」をメインに、軍都だった広島の役割や原爆の被害を外国人向けにつづる。

 画家四国五郎が戦前の街を描いたシリーズの複製や、被爆直後の光景を捉えた画家福井芳郎のスケッチをはじめ、ヒロシマをめぐる表現もそろう。

 展示は8月27日まで。月曜休館(7月17日は開館)。中国新聞社などの主催。

(2023年6月17日朝刊掲載)

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