[無言の証人] 手作りの人形
23年6月19日
命救った大切な「お守り」
毛糸を束ねて縛った5センチほどの人形。被爆当時20歳だった女性が戦時中に手作りし、お守りとして肌身離さずもんぺにぶら下げていた。
寺町(現広島市中区)に住んでいた中本カツエさん(2018年に93歳で死去)。1945年8月6日朝、自宅から中広町(現西区)の親戚宅に向かった。着いた直後、市上空で原爆がさく裂。顔や体に多数のガラス片を浴び、トラックで古市(現安佐南区)の国民学校へ運ばれた。歯茎からの出血や下痢、脱毛に苦しみ生死をさまよった末、一命を取り留めたという。
中本さんは36歳のとき夫を病気で亡くし、3人の子どもを懸命に育て上げた。孫の森本武さん(48)=周南市=によると、子や孫に被爆体験を語ることはほとんどなかったという。
「命が助かったのは、この人形のおかげ」と大切にし続けた「お守り」。85年、中本さんは自らの手で原爆資料館(中区)に寄贈した。(湯浅梨奈)
(2023年6月19日朝刊掲載)