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被爆後の写真210点 米調査団カメラマンの娘 原爆資料館に

■記者 桑島美帆

 米戦略爆撃調査団のカメラマンとして被爆6~8カ月後の広島や長崎を撮影したハーバート・スッサン氏(1922-85年)の長女レスリーさん(56)=米メリーランド州=が10日、父から受け継いだ写真のプリント210点を原爆資料館(広島市中区)へ届けた。未公開写真も含まれているとみられ、資料館が詳細を調べる。

 大半が1946年に広島と長崎で撮影されたとみられる。広島分は、調査の合間に爆心地付近に立つスッサン氏をとらえた写真のほか、はしご車を使ってカメラを回す調査団の撮影ぶりを収めたこまもある。

 原爆資料館の落葉裕信学芸員は「これまで見たことがないカットもあり、貴重だ。撮影場所などを詳しく調べたい」と話している。

 スッサン氏は被爆地での経験をほとんど話さず、クロゼットにしまった写真は家族にも触らせなかったという。レスリーさんは「父は政府や軍の監視を恐れていたようだ。晩年には、ニューヨーク・マンハッタンが広島のようになるかもしれないとの恐怖に襲われたと打ち明けたこともある。遺灰を広島の爆心地付近にまいてほしいとの遺言も残した」と広島に寄せる思いが強かった父を振り返る。

 資料館は13日午後4時から東館地下で、レスリーさんに父の思い出を語ってもらう会を開く。

米戦略爆撃調査団
 1944年11月設立の米陸海軍合同機関。原爆投下の効果を調べるため45年9月に来日。撮影隊は翌46年、長崎を経て3月に広島入りした。広島には2カ月間滞在し、撮影したカラー映像は後に「10フィート運動」で日本側が買い戻したことでも知られる。

(2009年7月11日朝刊掲載)

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