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平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹協定 平岡敬元広島市長に聞く

米の原爆投下 問い続けられるのか

ヒロシマ 戦後史の転換点

 広島市は、米軍の原爆投下により壊滅した地に原爆資料館や原爆慰霊碑が立つ平和記念公園(中区)と、旧日本軍の真珠湾攻撃と太平洋戦争の開戦にまつわるパールハーバー国立記念公園(米ハワイ州)が姉妹公園協定を結ぶと発表した。元市長の平岡敬さん(95)は「ヒロシマの平和思想をつぶすに等しい」と批判する。考えを聞いた。(金崎由美)

  ―協定は29日、東京の米大使館でエマニュエル大使と松井一実市長が出席して調印されます。何を思いましたか。
 広島市は公園があるホノルル市と姉妹都市。自治体や市民の友好は大切だが、今回は米政府側から市への打診だ。協定がなくても公園間の交流はできるのに、どんな意図なのか。なぜ今か。協定内容よりもそこが気になる。「仲良くしよう」と、日米で原爆投下責任を問わない風潮がさらに強まることを危惧する。

  ―契機は5月に市であった先進7カ国首脳会議(G7サミット)だそうです。
 被爆地は「国益」と違う「地球市民」的視点から核抑止を否定し、核兵器のない安全保障こそが平和のリアリズムだと一貫して訴えてきた。だがサミットで発表した文書「広島ビジョン」で日米を含む核依存7カ国は、核兵器が必要で有用だとした。

 広島選出の岸田文雄首相が議長を務める会議で、被爆地から発信された事実は重い。広島が国と一体で核抑止を認め、核兵器廃絶の旗を降ろしたと世界から思われる。さらに今回、米政府の提案を市はのんだ。ヒロシマの平和思想をつぶすに等しい。サミットからここまでの流れは、戦後史の大きな転換点だ。

  ―二つの公園は、設置の目的や背景も違いますね。
 原爆投下は一般市民の無差別大量殺傷で、平和記念公園はその犠牲者を悼む場。一方の真珠湾攻撃は、旧日本軍の奇襲攻撃に始まる日米両軍の戦闘だ。国立記念公園の主要施設は軍艦の名前で、死者を戦争の英雄として顕彰する面がある。原爆投下は戦争終結のため必要で正当な行為、という歴史観とも地続きだ。並列に置いたり、被害を相殺して捉えたりしてはならない。

 戦争責任の追及でも違いがある。日本は、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯らが処罰を受けた。私たちは将来も日本の侵略行為を自問し続けるべきだ。裁判への評価もさまざま。ただ、国際的な処罰手続きは一定に経ている。かたや米国は、当時から国際法違反だった行為の責任を誰も取っていない。

  ―市は「過去の悲しみを耐えて憎しみを乗り越え、未来志向で平和と和解の架け橋の役割を果たしていく」と前向きです。
 「未来志向」自体は悪くないが、原爆使用を反省せず、現在も大量保有している側が言うことではない。市民が抱いた米国への憎しみと葛藤は、そんなに軽いものでなかった。私たちは声なき無念の死者に向かって「未来志向で」と言えるか。真の「和解」とは反省と謝罪、補償、犠牲者の慰霊、再発防止などの先にある。今、韓国に住む被爆者が米国の責任を追及しようと動き始めている。広島から重く受け止めるべきだ。

  ―今すべきこととは。
 1995年、市長として「核兵器の使用と威嚇」の違法性を審理するオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)の法廷に立ち、日本政府の立場と相いれない陳述をした。住民の命を預かる自治体と、国益を追求する国家がときに対立するのは当然だ。まずは、8月6日の平和宣言で松井市長が「国と広島は違う」と広島ビジョンを否定すべきだ。市民の関心と働きかけが欠かせない。市民も問われている。

ひらおか・たかし
 大阪市生まれ。少年期をソウルで過ごし1945年9月広島に引き揚げ。早稲田大卒業後、中国新聞社に入社。編集局長、中国放送社長などを経て91年から広島市長を2期8年。広島市西区在住。

パールハーバー国立記念公園
 真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの残骸と記念館、戦艦ユタの遺構などからなる。オバマ米大統領(当時)が広島を訪問した後の2016年12月、安倍晋三首相(同)はアリゾナ記念館を訪れた。同館には故佐々木禎子さんの折り鶴が贈られ、20年に「ヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展」も開かれている。

(2023年6月26日朝刊掲載)

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