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[被爆建物を歩く] 本川公衆便所(広島市中区) 市民調査で特定 近年リスト入り

 平和記念公園(広島市中区)対岸の土橋町。本川のほとりに小さな公衆トイレが立っている。日常にすっかり溶け込んでいるが、爆心地からわずか約480メートルの距離で猛烈な爆風と熱線を耐えた「証人」だ。

 鉄筋コンクリート造りの約12平方メートルで、中に和式便器と小便器が2基ずつある。市が所有し、1989年にタイルの張り替えや外壁の塗装などの改修をしている。

 一見して何の変哲もないトイレを市が「本川公衆便所」として被爆建物リストに加えたのは2015年。最近のことだ。光を当てたのは、イラストレーターの日野唯史さん(64)=東区=だった。

 日野さんは14年、米戦略爆撃調査団が旧塚本町付近を撮影した1946年3月の映像に、酷似する建物を見つけた。有志と調査を重ね、現存するトイレと同一だと特定した。「どんなに小さな建物でも、被爆の惨禍を知る鍵となる」。市にリスト登録を働きかけた。

 他にトイレを確認できる39年ごろ撮影の写真があるものの、設置の時期ははっきりしない。だが、被爆時の状況と思われる資料を原爆資料館が所蔵している。70年代の募集に応じて被爆者が描いた「原爆の絵」に「20・8・6・11時 土橋共同便所にて」と題する一枚がある。被災した裸姿の子どもたちが手洗い場を求めて集まり、水を飲んで亡くなったと書き添えられている。

 古くは水運の街で、本川を川船が行き交った広島。トイレ近くにある「雁木(がんぎ)」はその名残で、後に平和記念公園となる対岸の地区も繁華街だった。公衆トイレは、往来が絶えなかった被爆前までの日常の証しでもある。(湯浅梨奈)

(2023年6月26日朝刊掲載)

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