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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 非戦の誓い 今だからこそ

 お年寄りから幼子まで、容赦なく命が奪われた地上戦が終結して78年。きのう沖縄は「慰霊の日」を迎え、県主催の沖縄全戦没者追悼式が営まれた。20万人を超す沖縄戦の犠牲の大きさに、改めて思いをはせたい。

 玉城デニー知事の平和宣言からは、沖縄に集中する米軍基地のありようを問いかけた例年と比べ、別の意味で危機感が読み取れた。昨年12月に閣議決定された「安全保障関連3文書」に基づき、南西諸島の自衛隊の強化や米軍との運用一体化がうたわれるからだ。敵基地攻撃能力を象徴するミサイル部隊の配備も、島々で進みつつある。

 「苛烈(かれつ)な地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じさせている」と知事は指摘した。沖縄戦の本質を突いていよう。時の政府は本土決戦に備えて沖縄を「捨て石」とみなして持久戦を図り、沖縄本島は戦場と化す。軍は住民を守るどころか戦闘に巻き込み、「鉄の暴風」と語り継がれる米軍の猛攻は暮らしや山河を破壊した。

 米軍基地の重い負担に加え、中国の軍事力増強や台湾有事をにらんだ自衛隊の機能強化が、県民の4人に1人が死亡した沖縄戦の記憶と重なっても無理はない。仮に沖縄の周辺で武力衝突が起きた場合は、まさに最前線になりかねないからだ。

 「あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにする」「対話による平和外交が求められている」。知事の平和宣言の一言一言を重く受け止めるべきだ。

 追悼式に出席した岸田文雄首相はどう聞いただろう。あいさつでは沖縄振興や米軍基地の整理縮小は口にしたが、南西諸島の防衛力強化には直接、触れずじまい。記者団に問われ、「国民保護の観点から重要だ」と語った。沖縄の人たちの偽らざる不安との落差は大きい。

 最後の激戦地だった糸満市摩文仁の丘にある「平和の礎(いしじ)」が国内外に発してきたメッセージを、見つめ直しておきたい。敵も味方も、軍人も民間人も区別せずに戦没者の名前を刻む。

 ことしで総数は24万2046人。新たに365人の名が追加された。その多くが戦艦大和の広島県出身の乗組員たちだ。米軍が沖縄に上陸した直後、沖縄特攻作戦の途中で鹿児島沖で沈没した巨大戦艦。住民犠牲と同列に置くことに違和感を抱く人もいるかもしれない。しかし戦争の不条理さを問う点では、刻銘の意味は同じにも思える。

 大和乗組員の刻銘に力を尽くしたのが、昨年末に亡くなった仏教学者で広島経済大名誉教授の岡本貞雄さんだ。長年、学生たちと沖縄の戦跡を歩いて失われた命の重みを学んできた。

 広島・長崎と沖縄が手を携えよう。かねて叫ばれる割に具体的な動きは多くない。その中で岡本さんはこの1月に死去した沖縄戦の「白梅学徒隊」の生存者、中山きくさんとも交流を重ねた。看護要員として動員された多くの女学生が犠牲になった事実を広島でも伝えてきた。

 歳月とともに直接の体験者は減っていく。沖縄戦の記憶の継承は地元でも悩みの種と聞く。戦争による住民犠牲という重い教訓を未来に残す責任を、沖縄だけに任せていいはずはない。今だからこそ日本人全体の課題と捉え直し、不戦・非戦の誓いを新たにするすべにしたい。

(2023年6月24日朝刊掲載)

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