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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅶ <11> 水平社運動 広島でも結成 青年ら決起

 民本主義的な青年団自主化の奔流は部落解放運動に立ち上がる青年たちを鼓舞し、団結を促した。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言して大正11(1922)年3月、全国水平社が結成される。

 その4年前の米騒動では被差別部落の人々の動きが目立った。衝撃を受けた原敬(たかし)内閣は「部落改善」名目の予算を付けて融和対策に乗り出した。米価を実力で下げさせた青年たちは、人としての権利を自ら闘い取る解放運動の道を選ぶ。

 全国水平社に呼応し広島市の被差別部落の若者たちが「躍進青年団」を結成した。改善活動にとどまる官製青年団を脱退しての旗揚げ。官憲の圧迫下「屈従の牢獄(ろうごく)より脱出せよ」とげきを飛ばし、明治初年の解放令後も続く差別と闘う。

 大正12(23)年7月30日、広島県水平社結成大会開催にこぎ着けた。青年団員だった中野繁一氏は「広島県水平運動史」に感無量の筆致で回想した。「吾等(われら)県下の同人はこの日こそ千年来暗黒の土の下に住むもぐらの如(ごと)き陰惨な生活より光ある人間社会の輝かしさを喜んだのだった」

 市町村に支部ができ、差別糾弾闘争を繰り広げた。差別発言への抗議が多く、祭りや宴席への参加拒絶や、教師による児童への差別事件も発生。そのたびに差別者の意識をただして謝罪させた。一方で、糾弾が脅迫などに当たるとして幹部が検挙されるなど官憲の弾圧や干渉も厳しさを増す。

 青年活動家たちは一般無産階級との提携に動いた。同年末にできた全国水平社青年同盟広島支部は部落差別と女性差別を一体的に捉え、幅広い解放運動を目指す。大正14(25)年3月には治安維持法、労働争議調停法反対のデモを労組と共催。広島で初の政治デモとされる。

 昭和2(27)年12月には全国水平社第6回大会が広島市の劇場寿座で開かれた。学校や青年団、軍隊での差別問題などを議論し「差別撤廃の自由獲得」を宣言する。大会を支えたのは青年同盟の支部員だった。

 寿座跡の広島市中区小網町交差点近くに昭和38(63)年、「解放運動 無名戦士之碑」が建った。さまざまな解放運動の道半ばで倒れた人々を合祀(ごうし)し、「凍(い)てつく大地に あなたは種子となった」と刻まれている。(山城滋)

広島県水平社の組織
 結成から1年で県内13市町村に支部組織ができた。会則や組織名簿、会費徴収はなく、差別事件が発生するたびに結集していた。一方、青年同盟広島支部は維持員制度や生活面の経済要求に基づく運動を提唱した。

(2023年6月24日朝刊掲載)

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