×

連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅶ <14> 政党不信 格差や政治腐敗 テロを誘発

 国際協調を重視する原敬(たかし)内閣は大正9(1920)年10月、日米英仏4カ国からなる対中国の国際借款団に加入した。米国中心のグローバル経済への参入は格差拡大という副作用を伴うことになる。

 この頃、保守派論客の徳富蘇峰は原内閣を「金持ちに支えられているから(インフレ抑止の)物価調節を期待しても無理」と評した。

 原政権は鉄道、港湾などの開発事業に熱心だった。与党立憲政友会支持の地主や財界は歓迎し、党勢拡大にもつながった。こうした積極財政下で富める者はさらに富み、持たぬ者は物価高騰に苦しんだ。

 いきおい労働争議が頻発し、原は社会主義的な思想の広まりを警戒する。同9年初めに労組員も加わる普通選挙運動が高揚したが、選挙制度を前年に改正した原は取り合わない。

 同年2月26日の衆院本会議で、野党提出の普選法案を原は「階級制度の打破が根底にあり、国家にとりはなはだ危険」と批判し、衆院を解散した。多分に選挙を意識した挑発的で居丈高な態度だった。

 傍聴席からこの首相発言を聞き、直接行動によるほかなしと憤ったのが難波大助である。山口県熊毛郡周防村立野(たての)(現光市)出身の当時20歳。後に共産主義を信奉し、摂政宮(後の昭和天皇)を狙撃する。

 同年5月の総選挙で政友会が大勝して一強体制となり、おごりや金権が政権をむしばんでいく。積極財政で膨らむ利権に与党政治家や官僚が群がり、東京市疑獄や満鉄疑獄などが次々に露見。政治腐敗が政党への信頼を失墜させた。

 大正10(21)年9月、安田財閥の安田善次郎を刺殺して自殺した31歳の朝日平吾の遺書は衝撃的だった。富豪の責任を果たさない安田に天誅(てんちゅう)を加えたとし、元老、政治家、富豪、華族ら「君側の奸(かん)」を全て殺して大正維新を実行すべきだ、と。朝日は北一輝の日本改造法案に触発された半インテリ右翼だった。

 朝日に影響されて同年11月、政治腐敗に憤る18歳の鉄道員が東京駅頭で原首相を刺殺した。

 政党への不信が深まる中、怨嗟(えんさ)の吐き出し口を求めるかのように右翼、左翼の両極からテロリズムに走る若者が出てくる。(山城滋)

 対中国の4カ国国際借款団 中国への借款を全て経由させようという米国提案の門戸開放策。日本は満蒙の除外を要求し、大枠で受け入れられたため加入。井上準之助日銀総裁は、この借款団を媒介として米英資本の国内導入にも努めた。

(2023年6月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ