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連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <18> ローレンス・リバモア国立研究所 (上) 汚染物質、住宅街へ 住民ら、危機感強める

 「この長い坂を下り終えて十五分も走るとリバモア市よ」。カリフォルニア州バークリー市で落ち合った地質学者で、元ローレンス・リバモア国立研究所職員のローレン・モレットさん(56)が、助手席から若々しい声で言った。

 サンフランシスコ市から東へ約七十キロ。ニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所に次いで、核兵器の研究開発を目的に一九五二年に設立されたリバモア研究所は、なだらかな丘に囲まれた市の東部にあった。

 研究所設立当初は、周辺に牧場やブドウ畑が広がっていたという。が、今では宅地開発が進み、研究所の通り一つを隔てて住宅街に変わっていた。

 「その研究所の敷地全体が、八七年に連邦環境保護局の『スーパーファンド・サイト』に指定された。土壌などが一番汚染された区域という意味よ」

 研究所に隣接する道路に入ると、敷地内には金網越しに数え切れないほどのパイプが、地表から一メートルほど出ていた。「みんな汚染モニター用の井戸のパイプ。自分でも随分掘ったわ」

 地層や化学に詳しいモレットさんは、九〇年から掘削専門の男性二人とチームを組み、約六平方キロの敷地内のあらゆる場所でモニター井戸を掘り、汚染された土壌や水のサンプルを採取。分析のため近隣の複数の研究所に送っていたという。

 「最初は揮発油など溶剤に使われた化学汚染物質ばかりだと思っていた。でも、仕事をしているうちに、クロムなどの金属物質やトリチウム(三重水素)などの放射性物質まで含まれていることが分かってきた」

 半減期十二年半のトリチウムは、水素爆弾の核融合をもたらすうえで不可欠の物質である。実験室などで使用されたトリチウムは、いったん外に出てしまうとガス状のために封じ込めることができず、周辺の水や植物、土壌などに溶け込んでしまう。そして直接あるいは食物連鎖によって、人間の体内にも取り込まれる。

 トリチウムを含んだ汚染物質は、研究所敷地内の地下水に浸透し、すでに住宅地の下層にまで拡散。そのまま放置すると、やがてリバモア市の上水用井戸にまで達してしまうと言われている。

     ◇     ◇

 「研究所がやっているこれが汚染処理施設。ポンプで汚染された地下水をくみ上げ、汚染物質を取り除いて再びほとんどの水を地下に流している。しかし、この程度の除染対策では、敷地全体のクリーンアップなんて不可能よ」。黒髪、黒いひとみが印象的なモレットさんは、処理施設を指さしながら言った。

 彼女が九一年、わずか三年足らずの勤務でリバモア研究所を辞した直接の原因は、サンプル採取作業を通じて知らない間に自ら被曝(ばく)していた事実だった。

 モレットさんらはあるとき、多くの人たちが働く建物の下を掘り進み、汚染サンプルを採っていた。三日間の作業を終えた直後のことだった。古参の作業員が彼女に近づいて来て言った。「きみたちは放射性物質が投棄された地下を掘っていたのを知っているか」

 事実を知らなかったモレットさんは、驚きを隠せなかった。

 「もし本当なら、なぜ作業前に教えてくれないのか。なぜ防護マスクや防護服が支給されないのか…」

 「防護服を着て作業をすると、建物内にいる者に不安を与えるからだ。当局は彼らが働いているビルの下に、放射性廃棄物が投棄されていることなど知ってもらいたくないのだ」

 「どんな種類の放射性物質なのか」

 「プルトニウムなど核兵器開発の過程で使われたすべての放射性物質が含まれている」

 古参の作業員は、知らずに被曝しているモレットさんらを不憫(びん)に思って事実を伝えたのだという。

 彼女はその後、みずから事実関係を調査した。やはりその通りだった。「五〇年代から六〇年代にかけて地下に投棄されたらしい。でも、全体の量などについては資料が見つからないので分からない」

 リバモア研究所では、エネルギー省に提出した研究目的とはまったく無関係な個人的関心事に多額の研究費を流用するなど、「いくつもの上司らの不正行為を目撃した」と言うモレットさん。こうした行為を見かねていた彼女の怒りは、被曝の一件で頂点に達した。そして事実を内部告発した後、身分証明カードなどをゲートに置いてそのまま研究所を去った。

 「一カ月に三千ものサンプルをつくっていた。その間に自分がどれだけ被曝したかなんて線量計を持っていなかったから分からない。大丈夫だと思うしかないじゃない…」

     ◇     ◇

 だが、ヒバクシャはモレットさんだけではなかった。人口六万人余のリバモア市や周辺住民もヒバクシャと言えた。

 「われわれは研究所から大気中に放出されるトリチウムなどの放射性物質で被曝しているのは間違いない」。モレットさんの紹介で会ったリバモア在住の私立探偵ルネイ・スタインハウアさん(63)は、恰幅(かっぷく)のいい体格に似合わぬソフトな口調で言った。

 平和・環境問題に取り組む地元の市民団体のメンバーとして、ボランティア活動を続ける。自宅の前庭には「軍縮を実現させる議員を選ぼう」との黄色い看板が立っていた。

 「実は九四年には小学校のすぐそばの公園で、かつての大気圏核実験の影響で検出される値より千倍も高いプルトニウムが見つかったんだ」

 スタインハウアさんにその公園へ案内してもらった。リバモア研究所から西へわずか四百メートル。住宅街にあるその公園は「ビッグツリーズ」の名の通り、大木が空に伸び、その向こうに小学校の建物が見えていた。

 「猛毒のプルトニウムが、子どもたちの遊び場にあるなんて信じられるかい…」

 研究所から出たプルトニウムを含む放射性スラッジ(汚泥状の廃物)が、「肥料用」にとだれかによって公園の木の周りにばらまかれたとの疑いがもたれている。しかも、異常に高いプルトニウムが検出されながら、その後も三十~六十センチの土がその上に盛られて放置されていたというのだ。

 「その盛り土が夜中にだれかの手で取り除かれ、どこかへ運ばれたのは数年後のこと。今でもまだ完全にプルトニウムがなくなったわけではない。研究所では『なぜそんなことが起きたのか分からない』と、責任を取ろうともしない」

 カリフォルニア州衛生局は九五年、国勢調査やがん登録などを基に、六〇年から九一年の期間を取り、同じアラメダ郡にあるリバモア市と、その他の市のゼロ歳から二十四歳までの若年層を対象にがんの疫学調査を行い、結果を公表した。

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 それによると、リバモアで生まれた子どもたちの間に、皮膚がんの一種である悪性黒色腫(しゅ)にかかる割合が、他地域より六倍余も多いことが判明。他地域からリバモアへ移り住んだケースでは、二・五倍高いことが分かった。「われわれが入手したエネルギー省の環境評価資料でも、研究所の『影響を受けている地域』として半径五十マイル(八十キロ)、約六百万人に及んでいるとしている」。スタインハウアさんはこう強調しながら、なおも言葉を継いだ。

 「汚染源はリバモア研究所のメーンサイトだけではない。ここから東へ十二マイル(一九・二キロ)の所にある研究所付属の実験場だって、九〇年にはスーパーファンド・サイトに指定されているんだ」。彼の案内で、山あいのくねった道を縫いながら現地を訪ねてみた。「サイト300」と名づけられた実験場の広さは約三十平方キロ。五五年以来、新しい原爆や水爆開発に必要な高爆薬物質の実験などが繰り返されてきた。

 劣化ウラン、プルトニウム、トリチウム、鉛などの重金属…。それらが爆発実験で大気に放出されるだけでなく、使用済みの破片などが敷地内の溝に捨てられ、土壌や地下水を広範囲に汚染しているのだ。

 「近くにはトレーシーという町がある。宅地開発で住宅が『サイト300』に近づいている。家が建ってしまってからではもう遅い…」

 危機感を募らせるスタインハウアさんは、トレーシー在住の市民グループの仲間とともに、地元議会や住民らに汚染実態を知らせる活動を強めている。

ローレンス・リバモア国立研究所
 「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー博士と、カリフォルニア大学バークリー校放射能研究所長だったアーネスト・ローレンス博士の強力な働きかけで、水爆開発を主要な目的に、1952年に設立される。

 研究施設などが立ち並ぶリバモア市の「メーンサイト」と、同市とトレーシー市の間にある「サイト300」からなる。前者は元海軍航空部隊整備工場跡を利用。後者は高火薬爆発や核兵器部品の実験場として55年に丘陵地に造られる。周囲には牧場などがある。

 これまでにさまざまな規模の水爆のデザインを手掛け、中性子爆弾も開発。大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの各種ミサイルや、現在進められているミサイル防衛(MD)システム開発にも深くかかわる。エネルギー省が施設を所有。カリフォルニア大学が管理運営に当たる。科学者ら労働人口は約8000人。  (文と写真 編集委員・田城明)

(2002年2月10日朝刊掲載)

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