×

連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <21> ハンフォード核施設(下) サケ産卵の川床危機 流域住民、除染を訴え

 日本人選手が活躍する米大リーグ「マリナーズ」の本拠地として、日本でもすっかり有名になったシアトル市。人口約五十五万人のその街の中心部にあるオフィスビルに、弁護士のトム・カーペンターさん(44)を訪ねた。

 「最近はイチローや佐々木投手の取材で、日本のメディア関係者を大勢街で見かけるようになった。でも、ここの事務所を訪ねてくれる記者がいなくてね…」。見るからにエネルギッシュなカーペンターさんは、冗談を飛ばしながら奥にある自室のいすに腰をかけた。

 首都ワシントンに本部のある非営利団体「政府に説明責任を求めるプロジェクト(GAP)」西海岸支部の代表を務める。

 連邦政府や他の国家機関が法に準じた行政を行い、公衆の安全と健康を守っているか。その監視役として、弁護士らを中心に一九七七年に設立。九二年の西海岸支部のオープンと同時に「ハンフォード核施設の監視を主目的」に、ワシントンからシアトルに移り住んだ。

 「最初のころは、ハンフォードの問題点を公にする内部告発者を法的に支援するなどの活動を続けてきた。今もその重要性は変わらない。しかし九〇年代後半からは、専門の科学者を加えてハンフォード沿いのコロンビア川の調査にも当たってきた」

 カーペンターさんはそう言うと、部屋の片隅の書棚からビデオを取り出し、そばのビデオデッキにセットした。  九八年秋の調査記録を約二十分に収録したものだ。「ハンフォードへの窓」のタイトルには、「川の環境を調べることで、ハンフォードの実態が見えてくる」との思いが込められている。

 テレビ画面には、小型船に乗り込んだGAPのスタッフでもある科学者のノーマン・バスキーさん(58)やカーペンターさんら五人が、兵器用プルトニウム生産のための九基の原子炉が川沿いに並ぶ辺りで、川床の土壌からサンプルを採る姿が映し出されていた。バスキーさんは岸辺に下り立ち、自生するクワの木の枝をナイフで切り取っている。

 「クワの木の根は川に達して水を得ている。枝葉や実を調べることで汚染の蓄積度合いが分かるんだ」

 一通りビデオを見終えると、カーペンターさんがあらためて説明してくれた。「このクワにはキロ当たり三万二千ピコキュリーのストロンチウム90が含まれていた。水にはリットル当たり六千ピコキュリー。ワシントン州の上水の線量限度の実に七百五十倍。半減期も二十九年と長い。体内に入ると骨などにたまってがんなどを誘発する」

 すでに二十年近くハンフォードの環境調査を続けるバスキーさんは、九〇年にクワの実で「放射性物質入りジャム」を作り、エネルギー長官とワシントン州知事に「警告」を込めて瓶詰ジャムを送りつけたこともあった。そのときの放射線量より、八年後の方が四倍も高かったという。

 □  □

 「今の一番の懸念はサーモン(サケ)への影響。何と言っても、チーヌックサーモンの70%は、ハンフォード沿いのコロンビア川の川床で産卵するんだからね。アラスカ海域辺りで捕れるのも、多くはここの生まれだよ」

 カナダのブリティッシュコロンビアを源流にする全長約千九百キロの巨大なコロンビア川は、八十キロに及ぶハンフォード核施設沿いを過ぎると間もなく、ワシントン州とオレゴン州の州境をなしながら太平洋へと流れる。

 流域に住む先住民の一つの部族の名前にちなんだ「チーヌックサーモン(キングサーモン)」は、秋になると五百キロもコロンビア川を遡(そ)上し、原子炉が並ぶ川床で産卵するのだ。

 「エネルギー省は原子炉周辺の汚染土壌を十六フィート(約五メートル)まで掘り起こして新しい土を入れ、表層だけをきれいにしている。しかし税金を何十億ドル使っても、これでは汚染が止まらないことを事実が証明している」

 危険なのは放射性物質だけではない。硝酸塩や重金属で発がん性の強い六価クロムなども検出されている。

 「サーモンは産卵から稚魚に成長して海洋へ下るまでに六~八週間、ハンフォード流域で過ごしている。生涯そこに棲(せい)息する魚ほどではなくても、放射性物質や化学物質による悪影響は無視しえない」

 冷戦時代のフル操業時には、原子炉を冷却した放射線レベルの高い一次冷却水が大量にコロンビア川へ投棄されてきた。カーペンターさんらが情報公開法で入手した原子力委員会(現エネルギー省)の五四年の資料には、一日八千キュリー(二百九十六テラベクレル)とある。そして今後、「放射線量は五~十倍に増えるだろう」と予測していた。

 「仮に五倍の増加だとしても年間約千五百万キュリー(五十五万五千テラクレル)。わずか一年でチェルノブイリ原発事故時の放出量(約百八十五万テラベクレル)の30%にも達していたことになる。驚くべき数値だよ」

 意図的にヨウ素131などを大気中に放出し、その影響を調べた「グリーンラン実験」を含め、こうした行為のすべてが「安全保障」の名の下、秘密裏に行われてきた。

 ロシアの核施設周辺住民と交流を続けるカーペンターさんは、厳しい口調で自国政府を批判する。「確かに旧ソ連の核施設や周辺の汚染状況もひどい。しかし国民に何も知らせず、共産主義の秘密性を非難してきたアメリカ政府のやってきたことも、秘密という点では何ら変わらない」と。

 □  □

 コロンビア川のハンフォード下流域ではどのような影響が出ているのか…。過日、ハンフォード核施設の現地取材を終えてのシアトルへの帰り道、「下流域の住民の声を知りたい」と、雄大な景観をなすコロンビア川に沿って車を走らせた。

 ハンフォードから三百キロ足らずの地にあるワシントン州の小さな町ホワイトサーモン市。人口約二千人のその町の河畔のホテルで、草の根市民でつくる「コロンビア川キーパー」代表のシンディ・ディブルーラーさん(52)と、会の技術コンサルタントを務める夫のグレッグさん(50)に会った。

 「ハンフォードによる汚染の影響を最も受けているのは、流域に住む約一万人の先住民よ。彼らは毎日のように川魚を食べるし、川は生活の一部だから…」とシンディさん。

 夫妻は八三年に「ハワイよりも最適のスポット」というボードセーリングのビジネスのためにシアトルから移り住んだ。それをきっかけに、先住民との交流も生まれた。

 「交流を続けるうちに、奇形の魚の話を聞いたり、甲状腺障害や白血病など病気を抱える先住民が多いことに気づいた。ハンフォードや放射線のことに目を向けるようになったのはそれがきっかけなんだ」。グレッグさんが、そばから言い添えた。

 六二年には、コロンビア川の河口や太平洋岸にまで広がったストロンチウム90などによる貝や魚の放射能汚染に抗議して、オレゴン州衛生局が原子炉の閉鎖を求めた過去の事実も知るようになったという。

 そんな調査を進めていた八九年、今度は老朽化した原子力潜水艦から取り出された原子炉が、埋蔵のために台船でハンフォードへ初めて運ばれた。

 ただでさえ汚染されたハンフォード。その地を「全米の放射性廃棄物の墓場にするな」「コロンビア川を守れ」と、百五十人の住民が抗議行動に立ち上がった。それをきっかけに誕生したコロンビア川キーパー。今では千六百人の会員を擁するまでに広がった。

 「先住民をはじめ、ハンフォード下流に住む約三百万人のほとんどは、未来の世代のためにも、コロンビア川の自然環境を守りたいと考えている。それに反して『もう一度生産活動を』と願っているのは、核施設で何十年も働いてきたリッチランドやケネウィックの住民ぐらいよ」

 「そう、特にリッチランドはね」と、グレッグさんはシンディさんの言葉を引き取って続けた。

 「人口約三万七千人のあの町には、科学者や技術者が大勢住んでいる。彼らは除染作業は『女々しい女性の仕事』とぐらいに思っている。核物質の生産を通じて国家の安全に貢献する『栄光の仕事』がしたい。時代錯誤な、そんな考えから抜け出せないのだよ」

 会では、シアトルのいくつかのハンフォード監視団体と協力して、市民助言委員会などを通じて核施設内の抜本的な除染対策を求めている。

 「軍事増強に熱心なブッシュ政権は、除染対策には不熱心。州政府とも協力しながら、除染作業が後退しないようにもっと声を上げていかなければ…」

 夫妻の言葉には、自然との共生を何よりも大切にしようとする多くの流域住民の願いがこもっていた。(文と写真 編集委員・田城明)

グリーンラン実験
 1949年12月、ハンフォード核施設で故意に放射性物質の放出実験が行われ、キセノン133とヨウ素131がそれぞれ2万キュリー(740テラベクレル)と7780キュリー(287テラベクレル)が大気中に放出された。

 実験の目的は、ソ連の原爆開発状況を知るためとされる。49年8月、初の原爆実験に成功したソ連では、照射済みのウラン燃料棒をわずか2週間余の冷却期間しか置かずに再処理工場へ送り、プルトニウムを取り出していた。プルトニウム生産を急いだソ連に対し、米国では半減期の短いヨウ素131(8日間)などの放出を少なくするために、約3カ月間の冷却期間を設けていた。

 「ソ連と同じ条件でやるとどのような影響が出るか」。その実態を知るための追試実験を「グリーンラン」と呼んだ。この実験がマスコミで明らかにされたのは89年5月。ほかにも、44年から13年間で53万キュリー(1万9600テラベクレル)のヨウ素131が環境へ放出されていたことも判明。ヨウ素131などの放射性物質の大量放出により、広範な住民に甲状腺がんなど多くの健康障害を与えた。

(2002年3月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ