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連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <23> オークリッジ核施設(下) 被曝・疾病…人種差別の影 下流住民も深い絶望感

 「ここはオークリッジの街中から取り残された黒人居住区。核施設のY-12は、丘の裏手にある。四百人余りが住んでいるけど、とても病人が多い」

 大きな体を緑のスーツで包んだファニー・ボールさん(61)は、こぢんまりとした居間のソファに腰を下ろし、ゆったりとした口調で言った。首筋に甲状腺がんの手術痕が残る。

 「二〇〇〇年十一月に手術をしたの。ほかにもぜんそくや糖尿病など体中悪いところだらけ。何種類もの薬が離せない。黒人たちは人種差別を受けたうえに、一番汚染のひどい地域に住まわされてきた」

 オークリッジの街中を南北に貫く主要道路からはずれて西へ一キロ余り。「スカボロー地区」と呼ばれるその一角は、ゆるやかな丘の斜面にへばりつくようにあった。古い小さな家々が目立つ。

 一九四三年、原爆開発のための「マンハッタン計画」でオークリッジ核施設の建設が始まると、地元のテネシー州をはじめ、ジョージア、ミシシッピー、アラバマなど南部各州から黒人たちが仕事を求めて集まり、肉体労働に従事した。

 「私の二人の兄も第二次大戦中にミシシッピー州からやってきて働いた。南部では黒人隔離政策が続いていたから、戦時中は街の一角に建てた小屋に住まわせられた。結婚していても、男女は一緒に住めなかった」

 戦後もオークリッジに残った黒人たちは、五〇年代初頭に街から隔離されたスカボロー地区に住むことを強制された。ボールさんが兄を頼ってオークリッジに移り住んだのは五四年、十四歳のときだった。

 「四〇年代から五〇年代は近くのクリーク(小川)に放射性廃液や重金属物質の水銀などが一番たくさん捨てられた時代。そんなことも知らずに、私たち子どもはクリークで泳いだりして遊んでいた。何の警告も受けずに…」

 オークリッジ核施設の汚染状況について、テネシー州衛生局が七年がかりでまとめた二〇〇〇年末のリポートには「地域の環境汚染は、核施設の生産活動により一九四三年以来起きてきた」と明記する。

 特に、原爆の部品を主要に造ってきたY-12工場そばのクリークには、五〇年から八二年の間に約千トンの水銀が投棄された。

 X-10の黒鉛型原子炉からは、甲状腺に蓄積される放射性ヨウ素131が大気中に大量に放出されたとも指摘。兵器用のウラン235を製造したK-25サイトの工場群からはウラン、テクニシウム、プルトニウム混合物、ヒ素、クロム、ポリ塩化ビフェニール(PCB)などが恒常的にクリークに捨てられた。

 「次兄は、九二年に六十八歳で心臓病で亡くなった。今も同じ地区に住む八十二歳の長兄は前立腺がんを患っている。喫煙をしないのに二、三十代で肺がんで亡くなる若者や、神経性の病気も多い。免疫力が低下していろいろな病気にかかるのよ」とボールさん。

 今でもスカボロー地区では、病弱の子どもたちが目立つ。ジョージア州アトランタにある米疾病管理・防止センターの九八年の調査では、三分の一の子どもたちに気管支異常が認められ、うち13%は「ぜんそく」と診断された。全米平均の約二倍という。

 「露骨な人種差別。そのうえに放射線被曝(ばく)や化学物質による汚染で健康や命までも奪われた。危険物質を環境に放出しながら、それを住民に知らせなかったことにも責任がある」

 ボールさんらスカボロー地区の住民代表は昨年一月、エネルギー省(前原子力委員会)と契約し、オークリッジ核施設を運営してきたユニオン・カーバイド社など歴代の契約企業を相手取り、損害賠償を求めてテネシー州地区裁判所に集団訴訟を起こした。

 「半世紀以上に及んで私たち黒人は、黙って耐えてきた。訴訟は私たちの最低限の基本的人権を守るための闘いよ。時間はかかっても必ず勝訴できると信じている」と、係争中の裁判に期待を込めた。

 ボールさんの案内で、長兄のウッドロー・アンダーソンさん宅など〇・五平方キロほどのスカボロー地区を車で回った。東端にやってくると、車を止めて言った。

 「ほら、向こうに見えるのがクリークよ。核施設の敷地内には幾つかのクリークがあるけど、どれもクリンチ川に流れ込む。キングストン市など下流の住民にもたくさん健康被害が出ている」

 彼女と別れた後、そのキングストンを訪ねてみた。オークリッジ核施設西端の「K-25サイト」から直線で南西へ十三キロ。人口約六千人の住宅地である。町の入り口に当たるクリンチ川そばの公園に立ち寄ると、一つの標識が目を引いた。

 「警告 シマスズキ この水域には人体にとってがんや他の病気のリスクを高めると思われるレベルの汚染物質が含まれている。これらの魚は食べないこと」

 同じ標識の下側には「ナマズ」「カワカマス」の魚名を挙げ、最後にこう注意を喚起している。「子ども、妊婦、授乳中の母親はこれらの魚を食べないこと。その他の者は消費量を一カ月一・二ポンド(約二回の食事)に制限すること」

 テネシー州環境保護局が設置したものだ。

 その公園から川沿いに車を走らせること数分。健康障害を抱えるオークリッジ核施設周辺住民ら数百人でつくる「私たちのカンバーランド山を守ろう」(SOCM)の中心メンバーであるジャニス・ストークスさん(55)に会った。彼女に標識の話を持ち出すと、皮肉交じりに言ったものだ。

 「あの標識は十年ほど前に立てられたものよ。それ以前は標識も警告もなかった。だから住民は、それまでに貴重なタンパク源として川魚をたくさん食べてきた」

 一見、健康そうに見えるストークスさん。だが「百ヤード(約九十メートル)も歩けない」というほどに病弱である。

 「小さいときは、夏場になると朝食前から川で泳いだ。ボート、カヌー、ウオータースキー、釣り…。川は子どもたちの一番の遊び場だった」と、ストークスさんは懐かしそうに振り返る。

 しかし、高校時代に入ると、全身が倦(けん)怠感に襲われ、体育の授業に参加できなかった。二十一歳で大腸に腫瘍(しゅよう)ができて手術。三十二歳で子宮がんが見つかり切除した。やがて皮膚がんにもなった。その間に結婚、一児の出産、離婚、子育てと病める体をいたわる間もなく生きてきた。

 「子育てが一段落ついたら体はぼろぼろ。体力も生きる気力もなくなっていた…」

 四十代半ばに近づいたそんなストークスさんを救ってくれたのは、当時オークリッジ市の総合病院に勤めていた一人の専門医だった。彼女の尿や髪、歯の検査から重金属物質や放射性物質が検出された。水銀、ニッケル、鉛、ヒ素、ベリリウム、カドミウム、ウラン、ストロンチウム…。

 「その医師にかかって特別な治療法で体内の有害物質を取り除いたり、自然食を中心にした食事療法をするようになってどうにか歩けるまでになったの」

 テネシー州政府職員で野生生物学者だった彼女の父親は九〇年、七十二歳で肺がんで死亡。教師の兄(62)は関節痛や神経痛に悩み、弟(52)は知能障害を持つ。実家で共に暮らす母親(82)の体内からも高レベルの鉛とヒ素が検出されている。

 「この町には病人が非常に多い。腎臓がん、ダウン症、甲状腺がん、白血病、脳腫瘍、乳がん、視力障害などを伴う多発性硬化症…。私が知っているだけでも数え切れないほどよ」

 有害物質は川だけでなく、大気を通じてももたらされた。だが、エネルギー省や契約企業は、住民の訴えに対し「ナンセンス」「健康の脅威にはならない」と因果関係を認めようとしない。テネシー州政府も、汚染の実態は認めながら、病気との因果関係になると明確な判断を示さないのが実情である。

 逆に、オークリッジ核施設で働く多くの患者を診ていた専門医は「汚染源は核施設にある」と指摘して筋を曲げなかったために脅迫に遭い、数年前に家族とともに他都市へ移り住まざるを得なくなったという。

 ストークスさんらSOCMのメンバーは、こうした厳しい状況下で同じような病気の人びとと連絡を取り合いながら、国や契約企業に補償を求める可能性を探ってきた。

 しかし、昨年九月の米同時中枢テロ後は「国民の間に愛国主義の機運が高まり、自国政府や核関連企業を批判するのが一層むずかしくなった」と嘆く。

 「政府や核関連の契約企業は私たちの命などどうでもいいと思っている。死ぬのを待っているのでしょう…」

 彼女の紹介で後に会ったキングストンの住民たち。重い病に侵された彼らもまた、ストークスさんと同じように深い絶望感を抱きながら、苦しい闘病生活を続けていた。(文と写真 編集委員・田城明)

(2002年3月17日朝刊掲載)

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