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連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <25> サバンナ・リバー・サイト核施設 難物、廃液のガラス固化 半世紀、作業者むしばむ

 「この工場で高レベル放射性廃液をガラス固化体に変換している。この種の施設では、今のところ世界最大規模です」

 サウスカロライナ州エイケン市にあるサバンナ・リバー・サイト核施設の「防衛廃棄物処理施設」(DWPF)運営担当のタミー・レイノルズさんは、身ぶりを交えて言った。

 「スラッジ(汚泥状の廃物)を含んだタンク内の廃液は、このサンプル模型のようにコーヒー色をしている。この中からまず『塩石』と呼ばれる比較的低レベルの放射性物質を分離。残りの高レベル分をガラス固化してステンレス製のキャニスターという容器に詰めて保管している」

 レイノルズさんが言う「防衛廃棄物」とは、使用済みの核燃料棒から、兵器用プルトニウムやトリチウムを取り出す際の再処理過程で生まれた高レベル放射性廃液である。「マンハッタン計画」の時代からプルトニウムを生産してきたハンフォード核施設(ワシントン州)が、地下タンクに抱えるストロンチウム90やセシウム137などの膨大な高レベル放射性廃液とほぼ同じ物質である。

 「核兵器」という「防衛」のために生まれた副産物だから「防衛廃棄物」と名づけられているのだ。

 サバンナ・リバー・サイト核施設は、ロッキーフラッツ核施設(コロラド州)と同じように、一九四九年のソ連の核実験成功を受け、「防衛増強」のための新たな核施設として五〇年代初期に、ジョージア州と州境をなすサバンナ川沿いに誕生した。五三年末に最初の原子炉が臨界に達し、五五年三月までに五基が完成。プルトニウムと水爆の威力を高めるのに必要なトリチウムのフル生産に入った。

 「安全上」の問題から八八年までにすべての原子炉が閉鎖された。その間に二つの再処理施設から約三十六トンの兵器用プルトニウムが生産され、別の化学分離施設から約二百二十五キロのトリチウムが抽出された。

 それに伴う高レベル放射性廃液は、半地下状態の五十一個の巨大タンクに貯蔵された。

 「現在使用されているタンクは四十九個。全体の廃液量は三千四百万ガロン(約一億二千八百万リットル)、放射能量にして約四億八千万キュリー(約千八百万テラベクレル)ある」

 レイノルズさんはたんたんと説明した。が、その放射能量はチェルノブイリ原発事故時に放出された際の実に九・六倍。ハンフォードよりも廃液の量ははるかに少ないが、放射能量は二倍余にも達している。

 「固体にして保存しても放射能量そのものが減じるわけではない。しかし、今のままではやがてタンクが老朽化して地下に漏れる心配がある。より安全な保管方法として、この方法を選択している」

 ハンフォードの地下タンクからは、すでに大量の放射性廃液が漏れて、一部は地下水にまで達している。サバンナ・リバー・サイトでも、閉鎖された二個をはじめ十六個の一重タンクのうち九個から、六〇年代に漏出が確認されている。「でも、それはごくわずかな量。修復後はどれも漏れていない」とレイノルズさんは言った。

 八三年に建設に着手したDWPFは、約二十四億七千万ドル(約二千九百六十四億円)の巨費を投じ、計画より七年遅れの九六年に本稼働した。その施設を彼女に案内してもらった。

 一日四交代で十九人が操作する「クレーン・コントロール室」。廃液にガラスを加え、一〇〇〇度以上に熱して生まれるガラス固化体。長さ約三メートル、直径約〇・六メートルのキャニスターへの充填(てん)…。とき折、放射線をオイルなどで厚くシールドしたのぞき窓から見える内部は、複雑に入り組んだ無数のパイプやロボットアームが炎に包まれるようにオレンジ色に輝いていた。

 「一本充填するのに二十五時間。年間約二百五十本のペースで作業が進んでいる。タンクの廃液をすべてガラス固化すると約六千本。まだ二十年から二十五年はかかる」

 DWPFに隣接する保管施設には、容器を含め重量約三トンのキャニスター二千二百八十六本が保管できる。まだ決まらない永久保管施設ができるまでの一時保管だが、「『ホット』な物質なので、常に冷却するなど細心の注意を払っている」とレイノルズさんは強調した。

 半世紀にわたるサバンナ・リバー・サイト核施設での生産活動が生み出した廃棄物は、むろん高レベル放射性廃液だけではない。中・低レベルの放射性廃棄物や化学物質による汚染は、広範である。

 五百十五カ所に及ぶ固体廃棄物投棄場、汚染された地下水は十一カ所、約五百三十億リットルにも達する。土壌や川、地下水の主な汚染物質はトリチウム、ストロンチウム90、セシウム137、プルトニウム239、水銀、鉛などだ。

 レイノルズさんに代わって、環境保全復興プログラム責任者のディーン・ホフマンさんが、汚染処理に取り組むいくつかの場所を案内してくれた。

 「本格的な除染作業は八九年ころから始まった。汚染の処理方法は場所によってさまざまな方法で対応している。これまでに約二百六十カ所の固形廃棄物処理場のクリーンアップを終えた。地下水も全体の約30%に当たる四十億ガロン(約百五十一億リットル)の汚染処理をした」

 ホフマンさんは、汚染処理が着実に進んでいると自信を示す一方で「しかし、やり遂げるのに何年かかるか分からない。気の遠くなるような作業だ」とも言った。

 すでに閉鎖された原子炉などの解体は、まだ計画にすら上がっていない。核施設全体の年間予算約十六億ドル(約千九百二十億円)のうち、10%の一億六千万ドル(約百九十二億円)が、環境保全復興に充てられている。「これにはDWPFにかかる費用は含まれていない」とホフマンさん。

 エネルギー省との主要契約企業であるウエスチングハウス・サバンナ・リバー社のスタッフの案内で核施設を約八時間視察したその夜、エイケン市の技術大学であった元労働者や遺族らの公聴会をのぞいた。エネルギー省主催のその会には、四百人以上が詰め掛けていた。

 「私がここの核施設で最初に雇われた。放射能の危険も知らされないで働いているうちに、どれだけ被曝(ばく)したか分からない。髪の毛が抜けたこともある。十年以上前から、慢性気管支障害で酸素ボンベが離せない」

 ジョージア州のツインシティー市から、妻の運転で二時間かけてやってきたというロバート・イーリーさん(78)が最初に口火を切った。

 「配管工だった父親が七八年に五十二歳で脳腫瘍(しゅよう)で死んだ。劣悪な作業環境で働いていても、当時は秘密を守るために家族にも話せなかった」と娘が訴える。

 「われわれは冷戦戦士として働いて病気になった。冷戦が終わった今は政府が助けてくれるのが筋だ」と年配の元労働者。「アスベストを体に吸入してがんになった」と現役の四十がらみの男性…。

 午後七時から三時間余、エネルギー省の役人がひたすら聞き入る中で続いた公聴会。次々と訴えるその姿は、昼間に核施設を視察して受けた印象とはあまりにもかけ離れていた。

 「労働者の健康や環境が、どれだけないがしろにされてきたかということだよ。特に冷戦期はね…」。翌日、ジョージア州オーガスタ市内の事務所で会ったチャールズ・ジャーニガンさん(58)は、昨夜の公聴会の様子をこう解説してくれた。

 電気技師として七一年から八年間自らも核施設で働き、その後は労働組合の指導者として契約企業の下で働く人たちとかかわってきた。九八年からは、病気になった元労働者や、すでに死亡した人たちの遺族が、ベリリウムによる疾病などクリントン政権時代に政府が新たに設けた補償措置が受けられるように相談に乗っている。

 「私のところには、現役の若い男女もやって来る。彼らは核施設内の医師たちを信用していない。しかし、仕事で病気になったとはなかなか口にできない。解雇される恐れがあるからだ」

 ジャーニガンさんは、自身が働いていたころに比べ、作業環境がよくなっていることを認める。その上で彼はこう続けた。

 「比較的楽な仕事、いい給料…。健康な間はいいことずくめ。ところが、知らない間に健康を失ってから気づくのだよ。放射性物質や化学物質を扱うこと自体が危険な作業であるということをね。その危険を労働者に十分伝えていないのは、昔も今もあまり変わっていない」

 いちいち相談例を挙げて説明するジャーニガンさんの話には、説得力があった。(文と写真 編集委員・田城明)

《サバンナ・リバー・サイト核施設》
 1950年、原子力委員会(現エネルギー省)は、兵器用プルトニウムとトリチウムの生産を目的にサウスカロライナ州の現在地に土地を求める。面積は広島市よりやや大きい約800平方キロ。

 「マンハッタン計画」で実績のあるデュポン社が契約企業となり、51年に建設を開始。52年に重水工場が稼働し、55年までに5基の原子炉が臨界に達した。54年には最初の再処理施設が完成し、プルトニウムを取り出した。主な施設にはこのほか、核燃料工場、トリチウム分離処理工場とリサイクル工場、技術研究所などがある。

 炉の欠陥で64年にR原子炉が閉じられたのを手始めに、88年までにすべての原子炉が閉鎖され、プルトニウムとトリチウムの生産はストップ。89年からはウエスチングハウス・サバンナ・リバー社が主要契約企業となり、水爆に不可欠なトリチウムのリサイクルや、施設内の汚染処理に当たっている。

 今年1月、ブッシュ政権は、ロシアとの間で合意済みの核弾頭解体後の余剰プルトニウム34トンを同施設に運び込み、全量をウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料として加工、商業利用すると発表した。2004年に始まる予定のMOX工場の建設費を含め、20年間で総額38億ドル(約4560億円)を要するプロジェクトである。現在の労働力は約1万6000人。

(2002年3月31日朝刊掲載)

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