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21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <26> パンテックス核施設 農民脅かす井戸水汚染 実態学び意識変革進む

 道路の両側に広がる一マイル(一・六キロ)四方に区切られた農地。群れをなして草をはむ牛たち…。テキサス州北部パンハンドル地方の中心地アマリロ市から北東へ二十七キロ。アメリカで唯一の本格的な核兵器組立・解体工場のパンテックス核施設は、大農場地帯の一角にあった。

 「ここから核施設まではわずか半マイル(約八百メートル)。大地や水などきれいな環境がすべての農民にとっては、ありがた迷惑な施設さ」

 サングラスにジーンズ姿の大柄なフィリップ・スミスさん(62)は、牛たちにエサを与えながら声を張り上げた。

 「特に二〇〇〇年三月以後に、北米最大のオガララ帯水層の一部が、発がん物質のトリクロロエチレン(TCE)やトルエンなどで汚染されているのが分かってからは、周辺農家だけでなく、四〇%の上水をこの水源に依存しているアマリロの住民にとっても重大な関心事よ」。ふだんは夫と一緒に農作業をしているという妻のドリスさん(63)が、そばから言い添えた。

 大学卒業間もない一九六二年に結婚。二人の子どもを育てながら、パンハンドル市のドリスさんの実家の農地約十平方キロを継いで、主として小麦と牧畜で四十年間生計を立ててきた。

 「パンテックスが核関連施設だということは分かっていた。しかし『最高機密』に属することだから、初めから関心を寄せなかった。ところが、九一年に施設拡大のために、百軒余りの周辺農家の土地を買収しようとの計画が明るみに出た。それからだよ、本気で関心を向けるようになったのは…」

 仕事の手を休めて家に戻り、台所のいすに腰を下ろしたフィッリプさんは、農民らの間に土地買収への反対運動が起きたきっかけについて話し始めた。やがて生まれた住民組織の「パンハンドル地方の隣人と地主たち」(PANAL)。遠くの支持者を含めメンバーは約三百五十人。夫妻で代表を務めるその会の活動を通じて、核施設の実態も学んでいったという。

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 第二次世界大戦中、陸軍管理下で通常爆弾を製造していたパンテックスは、終戦の四五年に閉鎖された。その後、五一年に原子力委員会(現エネルギー省)の下で、核兵器組立・解体施設として生まれ変わり、翌年から本格的な操業が始まった。

 エネルギー省によると、これまでに六万個以上のさまざまな核弾頭が組み立てられた。解体個数は約五万個と言われている。が、解体後に古くなった部品を交換して再び配備したケースも多く、永久に解体された核弾頭の実数は明らかにされていない。

 「緩衝地帯」を含め敷地面積は約六十五平方キロ。敷地の拡大計画は、水爆の起爆装置であるプルトニウム・ピットを製造してきたロッキーフラッツ核施設(コロラド州)が八九年に閉鎖されたのに伴い、「その機能をパンテックスに移そう」との狙いで浮上した。

 ビジネスを拡大したいと願うアマリロの商工会議所などが、エネルギー省に加勢して動いていた。スミスさんらは、ロッキーフラッツの汚染状況に詳しいデンバー在住の弁護士を招くなどして勉強会を開いた。

 「ロッキーフラッツのような放射能汚染や化学汚染が起きれば、農業は死滅する」。愛国心にあふれた保守的な農民が多い土地柄だが、核施設の実態を知るにつれ、反対への強い合意形成がなされていったと夫妻は口をそろえる。

 「ちょうどソ連との冷戦終了時と重なっていた。核兵器を減らそうというときに、なぜ新たに土地が必要なのか。そもそもそれが解せなかった」。フィリップさんはこう強調しながら、さらに言葉を継いだ。

 「地上から核兵器をなくすには、パンテックスは必要な施設だ。だからPANALとして閉鎖を要求したことはない。でも最近のように、われわれにとって死活問題のオガララ帯水層や井戸などの汚染が広がれば、将来、閉鎖を求めることだってあり得る」

 北米大陸が形成される過程で生まれた膨大な水量をたたえるオガララ帯水層は、北はサウスダコタ州の南端から南はテキサス州中部まで延長約千三百キロ、面積にして本州のほぼ二倍の約四十四万五千平方キロに及ぶ。

 溶剤に使われるTCEやトルエンなどの汚染物質が検出されたのは、パンテックス北側敷地内と外側に設けた地下約二百三十メートルのモニター用の井戸からだ。そこからさらに北へ一・五キロほど離れた所に、人口約二十五万人のアマリロ都市圏住民に供給する三十八個の井戸が分散してあった。

 「当局はいつも『汚染レベルは低い。健康に問題はない』の繰り返し。どの井戸もまだ汚染されていないと言っているけど、私たちは信じていない」と、ドリスさんは不信を露(あら)わにする。

 すでに敷地内では、防水設備のない溝や「プラーヤ」と呼ばれる浅い窪(くぼ)地に、トルエンなど十数種類の化学物質や水銀、鉛などの重金属物質が大量に捨てられていた。いくつかのプラーヤからは、ウランなどの放射性物質も検出されている。

 このために土壌やオガララより浅い約百二十メートルの位置にある地下水を汚染。スミスさん宅とは正反対の核施設東側や、北側の敷地外に広がり、飲料水や潅漑(かんがい)に使われていた一部農家の井戸は閉鎖された。

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 フィリップさんが再び農作業に戻った後、ドリスさんが車で核施設の周りを案内してくれた。

 「ほら、ずっと向こうにこんもり盛り上がった所が見えるでしょう。あそこは『ゾーン12』。あの地下で核兵器の組み立てや解体が行われている」。彼女はしばしば説明のために車を止めた。

 ドリスさんによると、現在、解体した核弾頭から取り出した余剰のプルトニウム・ピット約一万三千個が施設内の地下に保管されているという。

 「ここが核施設の北側に当たるオズボーンさんの家よ。九五年にはTNT火薬にして百十ポンド(約五十キロ)もある高火薬爆発実験で、家の壁や台所のタイルなどに大きなひびが入った。今は井戸水の汚染で他の農家二軒と一緒に訴訟を起こしている」

 オズボーンさん宅に立ち寄ると、夫のジムさん(66)と妻のジェリーさん(64)が、近郊からやって来た牧場主のアディス・チャーレスさん(60)や、この地域のカトリック教会の元神父だったジェリー・ステインさん(60)と話し込んでいた。

 「見ての通り、道路のすぐ向こうは核施設。北側に『爆発グラウンド』があるから、高火薬爆発のたびに家が揺れる。九五年のときは、それこそ大地震に見舞われたようで生きた心地がしなかった」

 当時、家の中にいたというジェリーさんが、恐怖を再現するように言った。家の修理にかかった費用は四万七千ドル(約五百六十四万円)。保険会社から費用は出たが、パンテックス核施設を運営する契約会社からもエネルギー省からも、いまだに何の補償もないという。

 パンテックスでは、核兵器の組み立て・解体のほかに、プルトニウム・ピットを周りから圧縮して核分裂反応を起こさせるための非核の高爆薬装置を製造していた。そのための実験が大気中で実施されてきたのだ。

 「エネルギー省や契約会社が口にする『安全』は、キツネがニワトリ小屋をガードするのと同じ。信じていたら危険が増すばかり。住民にもそれがよく分かってきた」とステインさん。

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 従業員の年間平均給与は四万五千ドル(約五百四十万円)以上。この近辺ではいいサラリーである。

 「でもね…」と、ステインさんは歯に衣着せぬ率直な口調で言った。「私はたくさんの従業員と接触してきて、がんなどで若死にしたり、病気のために辞めざるを得なくなった人を随分知っている。当局は部外者だけでなく、内部の者にも本当の危険を伝えていない気がする」

 小麦、トウモロコシ、畜産…。人口二千五百人のパンハンドル市をはじめ、パンテックス核施設の半径約六十キロ圏内、二十六郡を合わせただけで、アメリカの海外輸出牛肉の約30%を占めるという。

 「私たちのビジネスは人の命を奪うためではなく、生命をはぐくむためのビジネス。核兵器よりも、世界平和のためにはよっぽど貢献している。クリスチャンとしても正しい道だと思うわ」。四人の話に加わったドリスさんは、確信に満ちて言った。

 軍備増強に邁(まい)進するブッシュ大統領のおひざ元テキサス。一握りの声とはいえ、核施設を隣に抱えた農民らの意識は、十年間で大きな変化を遂げていた。

パンテックス核施設
 1942年、テキサス州北部のドイツ系移民19家族が所有する農地約65平方キロを「戦争協力」の名目で、半ば強制的に軍が接収。通常爆弾の製造工場が造られた。

 大戦終結の45年に工場は閉鎖された。49年、政府は1ドルで工場をテキサス技術大学(現テキサス工科大学)に売却。51年に原子力委員会(現エネルギー省)は陸軍を通じて土地を取得。核兵器の組立・解体工場としての建設が始まり、52年初頭から本稼働に入る。

 核関連施設は、事故による爆発の影響を低くするために、すべて地下にある。施設が機能し始めてからは、ほぼすべての核兵器がここで組み立てられ、解体された。

 名前の由来は、標高約1000メートルに位置するパンハンドル(Panhandle)地方の「Pan」とテキサス(Texas)州の「tex」を合成して付けたもの。パンハンドル地方は、テキサス州北部の地理的形状が「フライパンの柄」に似ているところから呼ばれる。労働力は約2800人。  (文と写真 編集委員・田城明)

(2002年4月7日朝刊掲載)

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