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社説・コラム

『潮流』 カーターさんと歩く道

■三次支局長 広田恭祥

 法被姿の米国人高校生5人が、三次市立甲奴中で3年生に交じって習いたてのソーランを踊った。ポーズを決め、ハイタッチを交わす。先月、甲奴町に迎えたジョージア州アメリカス市の訪問団との学校交流は笑顔にあふれた。

 訪問団受け入れは新型コロナウイルス禍を挟んで4年ぶり。他学年もバスケットボールや習字を一緒に楽しんだ。友好の歴史をつないだホスト役の生徒たちは「年齢や国が違っても友達になれた」「英語でもっとやりとりしたい」と話した。

 交流の原点は、町の通りや施設の名にもなっているジミー・カーター元大統領(98)の1990、94年の旧町訪問だ。地元の正願寺から戦時中に供出された鐘が英国、米国と渡りカーターさんの元にたどり着いた。当地で「平和の鐘」として親しまれるようになったことへのお礼の旅だった。

 米国南東部の現アメリカス市の農場に育ったカーターさんは海軍退役後、故郷へ戻り政治を志す。州知事から77年、第39代大統領に就く。在任1期ながら、人種差別撤廃や人権、環境保護の信条を貫き、退任後も紛争地の平和構築や医療支援に力を注いできた。

 退任後の84年には家族で広島市を訪問。原爆資料館を見学し「終生、平和と人権擁護のために働き続けることを誓う意味でヒロシマを訪れた」と語っている。

 「私たちも同じ道を歩いています」。訪問団の受け入れ窓口で、カーターさんの足跡の紹介などに取り組むNPO法人こうぬジミー・カーターシビックセンター国際交流協会の中垣健一理事(47)は話す。

 「それは異文化を知り、多様性を認め合うこと。そして国際社会で活躍する人材を育てる夢です」の言葉に、交流を終えた子どもたちの生き生きとした姿が重なった。現実は過酷だが、カーターさんの信念は若者に受け継がれるだろう。

(2023年7月4日朝刊掲載)

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