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連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <30> スリーマイルアイランド原発(下) テロ・事故、備え不十分 放射線測定、市民ら自衛

 ペンシルベニア州の州都ハリスバーグ市の中心部を抜け、サスケハナ川沿いに北西へ十分ほど車を走らせると、閑静な住宅街の一角に「スリーマイルアイランド・アラート」(TMIA)の事務所があった。レンガ造りの民家を利用した玄関そばの壁には、他の二つの市民団体の名前も掲げられていた。

 「一九七七年に生まれた草の根のTMIAは、名前の通りスリーマイルアイランド原発を監視し、市民に実態を伝えることで警報(アラート)を鳴らし続けてきた。その役割は昔も今も変わっていない」

 どっしりとした体つきのスコット・ポーツラインさん(43)は、一階奥の事務所の机に何冊もの関連ファイルを重ね、歯切れよく言った。

 九三年以来、ボランティアでTMIA安全管理委員会の委員長を務める。本職はピアノ調律師。が、「原発の安全性への個人的な関心」から、さまざまな文献に当たるなど二十年近く独自調査を続けてきた。

 七九年三月に起きた二号機の部分的炉心溶融事故。TMIAのメンバーは、冷却水の配管の水漏れなどについて作業員らから情報を得て、事故の危険を一年前の臨界達成時から訴えていたという。

 「TMI原発は建設時から現在に至るまで多くの問題を抱えてきた。最近ではコスト削減を目的に大幅に人員を減らし、熟練の作業員が辞めるなど安全管理への不安が高まっている」とポーツラインさん。

 彼によると、稼働中の一号機だけで八百人以上いた従業員が最近四年間で約六百人にまで減少。減員に伴う穴埋めのための長時間労働が重なり「ストレスから辞める人や、労働者の士気が下がっている」と指摘する。

 その一方で「職を失わない」ために、作業工程に問題が見つかっても、「内部告発」と取られかねないような訴えをしないよう自己規制が働いているとも。

 麻薬の使用、就労中の居眠り、作業中の被曝(ばく)…こうした事例も後を絶たないという。

 にもかかわらず、原子力規制委員会(NRC)は、最近実施したTMI原発一号機の運転状況について「良好」とのお墨付きを与えた。作業工程や設置機器について以前よりも「向上した」との判断からである。

 「われわれ市民の立場からすると、NRCの査察自体がどこまで信頼できるかとの疑問がぬぐえない。とても安心できる状態ではない」とポーツラインさんは語気を強めた。

 テロなどに対する警備体制も不十分だという。その一例として彼は、九三年二月七日に起きたTMI原発への侵入事件を報じる新聞記事を取り出した。

 トラックを運転していた男が、開いていた正面ゲートを突破し、防護フェンスを打ち破ってタービン建屋の巻き上げドアに激突。四時間近く地下の暗やみに潜んで捕まらなかった。犯人は精神障害者で、破壊活動などの大事には至らなかった、とその記事は伝えていた。

 「ところが、この事件から四カ月後の六月に私は、TMI原発から三十マイル(四十八キロ)北西にイスラム原理主義者の訓練キャンプがあることをFBI(連邦捜査局)の捜査から知った。すぐにNRCに電話連絡し、TMI原発の警備を強化するように訴えた。でも、その警告は無視された」

 FBIが捜査していたのは、この年の二月二十六日、ニューヨーク市の世界貿易センター(WTC)で起きた爆破事件の犯人である。死者六人、負傷者千人以上を出した事件は世界に衝撃を与えた。

 「実際、FBIが実行犯として後に逮捕したイスラム原理主義者四人の中に、民間人所有地のこのキャンプで訓練を受けた若者が含まれていたんだ。全員で十人はいたと言われている」

 ポーツラインさんは九四年二月、「市民専門家」としてNRC原子炉安全諮問委員会で証言。訓練キャンプの存在について言及すると、事実を知る委員はひとりもおらず、驚きを示すばかりだったという。

 「私は八カ月前にNRCに情報を提供した経緯を説明した。しかしその情報は内部で共有されることもなく、立ち消えになっていたのだ。信じがたいのは、FBIが原発の安全性を監視するNRCにも、当時原発を所有していたGPUニュークリア社にも事実を知らせていなかったことだよ」。ポーツラインさんはあきれ顔で言った。

 TMI原発の約四キロ北には、ハリスバーグ国際空港がある。風向きによっては、原発の上空百メートル以内の低空をジェット旅客機が飛んでいく。

 昨年九月の中枢同時テロ事件から一カ月余りたった十月十七日には、陸か空から原発攻撃があるかもしれないとの「信頼できる情報」に基づいて、三機のF16戦闘機が原発上空を旋回。空港は四時間にわたって閉鎖された。

 「現実はテロ攻撃がなくても、通常の旅客機の離着陸だけで十分に危険な状況にある。ましてや内部犯行によるサボタージュ(破壊行為)となると、TMI原発に限らず、どこの原発でもほとんど防止のしようがない」

 機関紙発行、ホームページ、市民向け集会、がんなどの発病者への相談窓口…。幅広い市民の寄付で支えられたポーツラインさんらTMIAの四半世紀に及ぶ活動は、州議会やハリスバーグ市当局、地元紙などから「価値ある役割を果たしている」と高い評価を得ていた。

 具体的な事例を挙げてのポーツラインさんの説明には、説得力を超えて、どこか薄ら寒いものさえ感じた。

 彼と別れた後、TMIA事務所にほど近い職業教育センターにエリック・エプスタインさん(42)を訪ねた。センターの主任講師として経済的に恵まれない子どもらの教育に当たる傍ら、市民組織の「EFMRモニタリング・グループ」のコーディネーターを兼務。TMI原発一・二号機の放射線レベルを自動測定している。

 「GPUニュークリア社と交渉して、社の出費で九二年から大気中のガンマ線のモニターを原発から半径四マイル(六・四キロ)の十六カ所の地点で行っている。一時間毎に放射線レベルを測定し、コンピューターシステムで自動的に記録できるようになっている」

 授業の合間をぬって取材に応じてくれたエプスタインさんは、エネルギーを全身にあふれさせながら早口で言った。

 「これで会社に依存しなくても、市民の手でようやく放射線放出量の異常をつかむことができるようになった。二回の痛い教訓から生まれた一つの解決策なんだ」

 彼が言う「痛い教訓」とは、七九年の二号機の事故時の放射線放出量が「膨大な量」に達しながらそれを裏付けるデータがないこと。もう一つは事故時に炉内にたまった八千七百キロリットルもの放射性廃液を、NRCが許可を出し、九〇年に大気中に蒸発させてしまったことである。

 「廃液にはトリチウムをはじめ、セシウムやストロンチウムが含まれていた。川への投棄は裁判で阻止できたが、大気へ蒸発させるという無謀なやり方を止めることができなかった。結局、周辺住民は二度にわたって相当量の被曝をしながら『わずかに放射線を含んでいるだけ』という会社側のごまかしを覆せなかった」と悔やむ。

 エプスタインさんのグループとは別に、前回の記事で紹介したダウン症の子どもを持つデビー・ベイカーさん(45)らが実施している「市民モニタリング・ネットワーク」という別組織も、九四年から計二十一カ所の個人の家の外壁などにガンマ線とベータ線の測定器を設置。十五分毎に各ポイントでデータを記録し、コンピューター・ネットワークで記録を集計している。

 後者はGPUニュークリア社を相手取って起こした集団訴訟の示談解決の一項目に含まれていたもの。システム開発に五年を要した。

 「モニターを始めてからは、核燃料の交換時や放射性廃棄物の運搬時を除けば自然放射線レベル内にあり、大きな事故は起きていない」とエプスタインさん。モニター装置の設置は市民にとって「安心材料」であると同時に、事故の際の素早い避難や被害に対する補償要求の裏付けになるという。

 だが、エプスタインさんは、それだけで問題が解決したわけではないと強調する。

 「もっと大きな問題は、高レベル放射性廃棄物を炉内に抱えた二号機の解体をどうするかだ」。鋭いまなざしを向けながら彼は続けた。

 「今は安全に解体するだけの技術がない。廃棄物を捨てる所もない…。チェルノブイリ原発のように石棺にして川の中の島に残すのが会社にとって一番安上がりだろう。しかし、洪水地帯に何百年も高レベル放射性物質を保管することなど住民には到底受け入れられない」

 二号機の処理をどうするか。会社にも住民にも、いい知恵がない。敷地内には約三百トンの使用済み核燃料も保管されたままである。

 エプスタインさんは憂いを漂わせながら重い口調で言った。

 「テロや事故の怖さを含め、これがわれわれ世代がつくり出した核時代のジレンマだよ。でも、そこから目をそむけるわけにはいかない…」(文と写真 編集委員・田城明)

(2002年5月5日朝刊掲載)

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