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連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <31> メーンヤンキー原発 解体後も募る住民不安 敷地内に使用済み燃料

 カナダと国境を接するアメリカ東部メーン州沿岸部の中ほど、人口約三千人のウィスカセット市を流れるシープスコット川そばに、メーンヤンキー原発はひっそりと建っていた。

 まるで地球をかたどったような原子炉建屋。が、内部の原子炉は一九九六年末に運転を停止したまま、廃炉の道をたどった。

 「二〇〇八年までの運転許可を取っていたので、再稼働の可能性はむろん探った。でも、いろいろと技術的な問題があってね。修理するには費用がかかりすぎるので九七年夏に閉鎖を決めた。その後の解体作業は順調に進んでいる」

 メーンヤンキー原子力発電社のマイク・マイズナー社長(51)は、敷地内の管理ビル二階社長室で、深々といすに寄りかかりながら言った。七二年の稼働から二十四年。再稼働の任を負って九七年初頭に社長に就任したが、今は二〇〇四年中の完全解体を目指して陣頭指揮を執る。

 「外観からでは分からないが、タービンや蒸気発生機など工場の主要な部品は取り除いた。問題は高レベルの放射能を持つ原子炉格納容器の解体と使用済み核燃料の保管だ」

 マイズナーさんによると、これまでに使われた核燃料棒は千四百三十二本、重量にして約九百トン。そのすべてが原子炉建屋のそばにある使用済み核燃料保管所のプール内に収められている。だが今年六月からは、水冷保存されてきた燃料棒は鉄筋コンクリートと内部が特殊スチールでできた乾式のキャスク(容器)に順次移し変えられ、屋外の敷地に保管されるという。

 「ひとつのキャスクに二十四本の燃料棒を詰めるので、キャスクは合計六十個になる。このほか、四個のキャスクには強い放射能を帯びた原子炉容器の内側部分を切り取って入れるつもりだ」

 キャスクの安全性は大丈夫なのか? そう尋ねるとマイズナーさんは「これまでに十分試験をしているし、原子力規制委員会(NRC)も承認済みだ。安全性には自信を持っている」と強い調子で言った。

 「しかし何の遮蔽(へい)物もなく、屋外に保管するのはテロ行為を含め危険すぎるのでは…」

 「遮蔽をしないのは、自然のままで空気冷却をするためだ。核分裂反応は内部でもちろん起きている。が、燃料棒間のスペースもあり、臨界に達して暴発するようなことはない。テロ行為には警備を強化するなど万全の対策を取るつもりだ」

 ここの敷地でいつまで保管するようになるのか? 最後にこう問い掛けると「それはエネルギー省に聞いてもらいたい」とその理由を説明した。「実は連邦政府は九八年までに原発から出た使用済み核燃料を永久保管地に搬入すると約束していた。が、それが実現していない。今のところ、建設中のネバダ州ヤッカマウンテン保管所がどれだけ早く完成しても二〇二〇年をだいぶ超えることになる…」

 マイズナーさんから一通り説明を受けた後、広報担当者(40)の案内で放射線区域外の解体現場を視察した。すでにコントロール室の配電盤やケーブルは取り除かれ、タービン室なども元の姿をとどめていない。

 約三・二平方キロの原発敷地のほぼ中央には、高さ三メートル余の土手に囲まれた使用済み核燃料キャスクの設置場所があった。広さ約二万五千平方メートル。その基礎はキャスクの重量に耐えるよう鉄筋コンクリートで強化されている。そばには建造中の一部のキャスクが置かれていた。

 キャスクの安全性に確信を抱く原発当局者。だが、氷点下の続くメーン州の冬場は長く、厳しい。その自然にさらされたまま、これらのキャスクが今後何十年と屋外に設置されることに不安を覚えずにはおれなかった。

 メーンヤンキー原発を訪ねたその夜、ウィスカセットの隣町、ニューキャッスル市の法律事務所であった環境団体の「核汚染に反対する沿岸部友の会」の集いをのぞいた。漁民や教師、医師や主婦ら約三十人が近辺から参加していた。住民の関心は、もっぱら使用済み核燃料の保管問題に集中していた。

 「現在保管中のウラン核燃料一本が仮に燃えてセシウム137やプルトニウム239などの放射性物質が大気中に放出されたら、広島型原爆で放出されたよりもはるかに多い放射線量がまき散らされることになる。それが千四百本以上もあるんだ」

 九五年の会の創設者のひとりで芸術家のレイモンド・シャディスさん(60)は言った。彫刻や絵画制作に取り組む傍ら、七九年のスリーマイルアイランド原発事故を契機に、核物理学者らとも交流し原発の安全性について研究してきた。今ではその知識が買われて原発のある近隣五州の市民でつくる「核汚染に関するニューイングランド連盟」の専門スタッフも務める。

 水冷のプールと乾式のキャスクで保管するのとでは、どちらがより安全か?

 参加者からの問いにシャディスさんは歯切れよく答えた。「水中での保管は、コンクリートの水槽がすでに老朽化して水漏れの心配などがある。放射性廃液もつくる。一方でキャスクの強度は専門家によればTNT火薬千ポンド(約四百五十キロ)爆弾で容易に破壊されるという。テロの可能性を考えれば、どちらにしても安全ということはない」

 八六年から八年間州議会議員を務めた元看護婦のマライア・ホールトさん(74)は、白髪をなで上げながらため息交じりに言った。「原発稼働の初期のころは煙突などから放射線をいっぱい出して、白血病や脳腫瘍(しゅよう)、乳がん患者ら病人をたくさん生んできた。原発が閉鎖されても、これでは安心して住めないわね…」

 原発からの温排水が注ぎ込んでいたシープスコット川下流のブースベイ・ハーバー。メーン州の特産であるロブスター漁を営む漁民は、ハーバー周辺だけで三百人を数える。地元漁民でつくる漁協は「放射能汚染はメーン州の漁民の暮らしと伝統文化の破壊を意味する」と、原発敷地内に使用済み核燃料を残すことに数年前から強い抗議の声を上げてきた。

 「メーン州にとってロブスターは観光資源でもあるんだ。エビやタラ漁などを含め風評被害でも立ったら大変なことになる」。参加者のひとり、漁民のマイク・マッコネルさん(55)は、ひと際力を込めて言った。

 住民たちの議論は午後十時近くまで続いた。「警備の徹底」「解体作業に伴う放射能漏れの防止」―当面は会としてこの二点を会社と州政府に強く要求することで意見がまとまった。

 翌朝、積雪を見た道路にハンドルを取られながら、ブースベイ・ハーバーのマッコネルさんらの仕事場を訪ねた。原発から直線距離にして約十キロ。雪景色につつまれたひなびた漁港に、漁村特有の強いにおいが漂う。

 作業用の小さな建物内には、水揚げされた数え切れないロブスターが両ヅメにビニールの輪をはめられ、いけすで出荷を待っていた。

 「ツメで体に傷を付けないためにやっているんだ」。小柄なドナルド・ワトンさん(71)が言った。刻まれた額のしわにベテラン漁民の風格が漂う。九九年に肺がんの手術を受けたという。

 「わしは九五年までは『原発は安全』という当局を信じて原発には賛成だった。でも原発は閉鎖されても核燃料は残るというし、二〇〇八年までは電気代に含めて解体費用を取られるという。だまされた気持ちよ」

 「同感だね…」。マッコネルさんがそばから言い添えた。

 「ワトンさんの思いは漁民の気持ちを代弁している。最初はだれも原発に反対していなかった。しかし三十年付き合って『安くてクリーンで安全』と教えられてきた原発神話が本当ではないと分かった。更地になっても墓場のように残る使用済み核燃料の存在が動かぬ現実となって、みんな一層強い危機感を抱き始めた。特に中枢同時テロ事件後はなおさらね…」

 身近な裏庭に危険な「核の墓場」を望む者はまずいないだろう。だが、たとえどんなに不安が強くても原発解体が進むメーン州の付近住民は、少なくとも今後一世代は「核の墓場」との共存を余儀なくされる。

《メーンヤンキー原発》
 1972年12月、人口約120万人のメーン州で唯一の原発(加圧水型・出力86万キロワット)として営業運転を開始。稼働初期から緊急炉心冷却機能の不備や安全装置用電気ケーブルの設備不良など技術的な問題が指摘されてきた。

 96年9月、原子力規制委員会(NRC)の特別査察で、配管の腐食や核燃料取り換え機の不良、多数のブレーカーの信頼性欠如など多くの欠陥が見つかった。メーンヤンキー原子力発電社は「修理よりも他から電気を購入する方が安価につく」との判断から、翌年8月に閉鎖を決定した。

 600人いた従業員は現在65人。解体作業にはこのほか契約企業関係者ら約300人が働く。

 2004年までの解体経費約5億ドル(約600億円)のうち3億2000万ドル(約3億8400万円)は、原発閉鎖までに電気代の一部として消費者から徴収済み。残りは免許許可が下りていた08年まで引き続き徴収を続ける。(文と写真 編集委員・田城明)

(2002年5月12日朝刊掲載)

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