×

連載・特集

21世紀・核時代 負の遺産 アメリカ編 <33> 原潜・空母 サンディエゴ海軍基地 浮かぶ原子炉、街に脅威 汚れる海、軍に規制甘く

 「アメリカ最大の海軍基地を陸から案内しましょう」

 ローラ・ハンターさん(45)は、そう言うと若い二人のスタッフとともに車に乗り込んだ。カリフォルニア州南部サンディエゴ市にある非政府組織の環境健康連盟(EHC)。ハンターさんはそこの「サンディエゴ湾クリーン・キャンペーン」のディレクターを務める。

 青い空、紺碧(こんぺき)の海、温暖な気候…。湾沿いの道を走りながら思わず「きれいですね」と話しかけると、ハンターさんは「見かけはね…。でも、訪問者と違ってここに住む者には決してきれいじゃない。危険なほどに大気も海も汚染されているのよ」と助手席から答えた。

 ミシガン州で生まれ育ち、コンピューター会社に勤める夫の仕事の関係で八四年にサンディエゴへ。カリフォルニア大学サンディエゴ校で音楽を教える傍ら、サクソホン奏者として地元の交響楽団で演奏活動を続けていた。が、気管支に不調をきたすなど「あまりのひどい環境汚染」に我慢できなくなり、「自分に何かできることを」と九〇年にEHCへボランティアで参加。やがて二十二人の有給スタッフのひとりとして働くようになった。

 「EHCが八〇年に設立された当初は、湾岸沿いの造船所などから生まれる産業汚染問題と取り組むのが中心だった。今も重要な課題だけど、調査を進めれば進めるほど、海軍が最大の汚染源だということが分かったのよ」

 ハンターさんによると、国防を目的とした軍は石油流出で海を汚染しても、法で規制されることはないという。一般の産業廃棄物は州政府の規制対象だが、原子力潜水艦や原子力空母から出る放射性廃棄物など放射性物質は対象外だ。

 「すべては海軍任せ。独立した機関が目を光らせることがないから何をやっていても分からない。私たちが情報を求めても『軍事機密』を盾に何も明かそうとしない」

 ハンターさんの説明を聞くうちに、車はサンディエゴ湾を囲む半島の小高い丘に近づいた。海軍関係の戦死者が眠る国立墓地の道路わきに車を停車。歩いて墓地を通り抜けると、眼下に三隻の原潜が停泊していた。

 「現在は太平洋艦隊の六~十四隻がここを基地にしている。原子炉の規模は秘密だけど、いろいろな資料を基に判断すると百万キロワット級原発の十分の一、十万キロワット前後とみられている」

 原潜から目を上げると、湾内に浮かぶノースアイランドの海軍航空基地からヘリコプターが頻繁に離着陸を繰り返している。その向こうには、百二十万都市サンディエゴ中心部のビルが海岸沿いに林立していた。

 「海に浮かぶ原子炉が住宅密集地にいかに近いか分かるでしょう。原子力空母の停泊場所からだと市街地までわずか半マイル(八百メートル)。しかも空母一隻あたり推定二十万キロワットの原子炉二個を搭載しているのだからね…」。そばからEHCメディア担当のジェイスン・ベイカーさん(29)が言った。

 二十四平方キロのサンディエゴ湾をはじめ、陸地部を含め全体で約七百三十平方キロの海軍基地には、太平洋艦隊の三分の一以上の艦船が配備されている。海軍の計画では九八年のステニス号、二〇〇一年のニミッツ号に続いて、〇五年には三隻目の原子力空母ロナルド・レーガン号がこの基地を母港に就航する予定だ。

 「原子力空母の母港化によって、核艦船の修理施設が二つ増設される。低レベル放射性廃棄物の保管施設なども増える。事故の可能性と放射性廃棄物の増加、大気と海の汚染…。サンディエゴ湾と周辺の環境は一層悪化するのが目に見えている」。ベイカーさんは、それぞれの施設が建設される辺りを指さしながら言った。

 EHCはこれまでに何度も、事故の際の住民の避難計画について公にするよう海軍当局に求めてきた。だが、いつも「絶対安全」との杓子(しゃくし)定規な回答しか返ってこない。

 「原発ならどこでも周辺住民への避難計画がある。なのに海軍はこれだけの数の原子炉が住民の身近にありながら、何も知らせようとしない」とベイカーさん。彼の言葉を引き取るように、ハンターさんが憤りをあらわにして続けた。

 「おまけに原子力規制委員会(NRC)による原子炉の査察はない。軍事行動に伴う核艦船特有の激しい出力の上げ下げは、人為ミスや金属疲労を招きやすい。放射能漏れを防ぐための原子炉建屋もない。事故の可能性がそれだけ高いと言えるのに、住民の懸念に耳を貸そうともしない」

 放射能漏れ事故が起きれば、ノースアイランドの基地に隣接する人口約二万三千人のコーナード市はまたたく間に放射性のチリに覆われる。さらに風下に当たるサンディエゴの中心部に達するのに数分とかからない。

 「そんな事態になればサンディエゴ市民の健康も、年間千五百万人が訪れる観光依存の高い経済も壊滅状態に陥ってしまう。国民を守るはずの核艦船は、今や私たちにとっては脅威でしかない」と、ハンターさんは語気を強めた。

 一方で海軍は、事故の際には甲状腺がんの防止のために隊員へヨウ化カリウムを支給したり、二時間以内に基地から立ち退く緊急避難計画をつくっている。EHCが情報公開法で入手した関連文書の内容をただすと、事実を認めたという。

 サンディエゴ湾の海底の土壌からは、海軍や艦船を修理する造船所から放出された毒性の強いポリ塩化ビフェニール(PCB)など大量の化学物質が見つかっている。原潜などが停泊する海底からは、自然放射線レベルの十倍のセシウム137を検出。古くなった軍用機の計器を大量に投棄した場所では、ラジウムによる汚染が深刻である。

 このためサンディエゴ郡衛生局は、九〇年から子どもや妊婦、お年寄りに対し「湾内で捕れた魚を食べ過ぎないように」と注意を促している。特にメキシコ系住民が多く住む沿岸部の貧困地域では、大気汚染が原因でぜんそくに苦しむ子どもらも多い。

 「それなのにブッシュ政権は、連邦の法律である水質汚染防止法や大気汚染防止法から、軍は一切拘束されない法を通そうと躍起なのよ」。ハンターさんは、現政権の環境政策を「国民に対して環境的殺人を犯すもの」と痛烈に批判する。

 下院議会には、サンディエゴ選出の民主党議員ボブ・フィルナー氏が中心になり、議員十五人の連名で「軍環境責任法案」が提出されている。連邦・州レベルを問わず、軍はすべての環境法に従わねばならないというのが狙いである。

 EHCが実施したサンディエゴ郡内の世論調査では、85%以上の市民が法案を支持している。郡内とその周辺、さらには基地を抱える全米の環境・反核平和市民団体などが、この法案を通そうと政治家らに懸命の働きかけをしている。だが、見通しは「甘くない」とハンターさんも認める。

 アメリカ政府は、レーガン空母完成後も、さらに五隻の原子力空母を建造する計画である。ハンターさんらは、放射能汚染問題以前に「税金の無駄遣いである」と空母建設阻止を十年以上にわたり訴え続けている。が、その声は海軍や政治家を巻き込んだ巨大な軍需産業の前に政策を変えるには至っていない。

 「すでに処理しきれない放射性廃棄物や使用済み核燃料を抱えながら、軍部はさらにそれを増やそうとする。私たちにとって環境を守る取り組みと反核運動は一体のもの。いつかは私たちの訴えが政策に反映されるのを信じて闘い続けるわ…」

 かつてのサクソホン奏者は、軍事施設が広がるサンディエゴ湾を見つめながら「最大の汚染源」に立ち向かう強い決意をにじませた。

アメリカの核艦船
 1954年、世界初の米国原潜ノーチラス号が進水する。これまでに就役した原潜は世界で430隻を超える。建造数が最も多いのはロシア(旧ソ連)の約230隻。第2位は米国の約190隻で、うち49隻は弾道弾発射型である。米海軍は原潜のほかに、建造中を含め11隻の空母と9隻の巡洋艦を保有する。

 世界の核艦船の95%を占める原潜は、放射能漏れなど多くの事故を起こしている。判明している沈没事故はロシアの9隻に対し、米国は2隻。63年のスレッシャー号(乗員129人)と68年のスコーピオン号(乗員99人)で、いずれも大西洋で消息を絶ち、乗員全員が死亡。昨年2月にはハワイ州ホノルル沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が原潜に衝突され9人が犠牲になった。

 原子力空母では65年に、沖縄近海でタイコンデロガ号から水爆を搭載したA4E攻撃機が海に転落するなどの事故が起きている。

 原子炉の核燃料棒の交換や退役原潜の原子炉の取り外しは、シアトル市沖のブレマトン海軍造船所で行われ、原子炉はハンフォード核施設に運ばれ保管されている。(文と写真 編集委員・田城明)

(2002年5月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ