被服支廠 保存へ急展開 政権幹部後押し続く 首相に地元要請 契機
23年7月5日
広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)を巡って山本左近文部科学政務官は4日、国が持つ4号棟で国重要文化財(重文)指定に向けた調査をする考えを示した。耐震化への流れを後押しする発言をした政権幹部は、この10日足らずで4人目。停滞していた保存の動きは1カ月前の広島県による岸田文雄首相への要請を機に急展開し、長年の懸案である費用捻出の展望が開けてきた。
山本氏はこの日、被爆地選出の自民党議員でつくる被爆者救済と核兵器廃絶推進議員連盟と文科省内で面会した。議連の平口洋事務局長(広島2区)によると山本氏は「(1~4号棟)全体が重文になるよう進めたい」と述べたという。
被服支廠は県の1~3号棟と国の4号棟が残る。重文になれば、県の3棟については国が改修費の半額を補助できる。県は3月に指定に向けた調査結果を公表したが、国の立場は未定だった。それだけに平口氏は面会後、「非常にありがたい」と喜んだ。
保存を訴えてきた議連は3日、鈴木俊一財務相から「重文指定の方向で進める」との返答を得た。先週も「予算配分を行っていく」(加藤勝信厚生労働相)、「重文の線で進めれば良い」(中山光輝首相秘書官)と国の予算措置に前向きな返答を受けていた。
政府内で重文指定の検討が加速したのは、6月6日の湯崎英彦知事による首相への耐震化支援の要請からだ。首相周辺の一人は「被爆の実態を世界に伝える建物だ」と、被爆地を地盤とする首相の信条にかなう案件だとの見方を示す。
耐震化は内部見学ができるための安全対策を意味する。県の試算では1棟当たり少なくとも5億8千万円。厚労省の既存の被爆建物の改修補助は上限が2460万円。多額の国費が見込める重文指定は県にとって願ってもない方向だ。ある県幹部はこれまでの曲折を念頭に「やっとここまで来た」と予算付けに期待する。
首相が議長を務めた広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)が終わり、被爆78年の夏が迫る。要請を繰り返す議連側にも今が「最大の好機」との目算があった。平口氏は言う。「岸田首相でなければここまで一気に進むことはなかった」(樋口浩二)
<旧陸軍被服支廠を巡る主な動き>
1913年 旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
45年 米国の原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部とし
て利用
52年 広島県が現存する4棟のうち3棟を国から取得
56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大
が4号棟を学生寮として利用
92年 県が現地で建物の強度を調査
93年 広島市が被爆建物に登録
95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
96年 県が「瀬戸内海文化博物館」としての活用を見据
え、耐震性を調査
98年 県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年 県がロシア・エルミタージュ美術館の
分館誘致の検討を開始
06年 県が分館誘致を断念
17年8月 県が改めて耐震性調査を開始
19年9月 県が安全対策に20年度に着手すると表明
19年12月 県が1号棟を外観保存し、2、3号棟を解体する
案を公表
20年2月 県が20年度の解体着手先送りを表明
21年5月 県が1~3号棟を耐震化すると表明。「2棟解
体」からの方針転換
23年3月 県の有識者懇談会が図書館や平和資料館など約3
0の活用アイデアを例示。別の有識者会議は国の
重要文化財(重文)指定に向けた調査結果を公表
6月6日 湯崎英彦知事が耐震化のための財政支援を岸田文
雄首相に要請
6月27日 被爆地選出の自民党議員連盟の要請に対し、加藤
勝信厚生労働相が「関係省庁と連携しながら必要
な予算配分を行っていきたい」、中山光輝首相秘
書官が「重文指定の線で進めれば良い」と返答
7月3日 鈴木俊一財務相が議連に「文化財指定する方向で
進めたい」
4日 山本左近文部科学政務官が国所有の4号棟につい
て議連に「文化財指定に向けた調査を進める」
(2023年7月5日朝刊掲載)
山本氏はこの日、被爆地選出の自民党議員でつくる被爆者救済と核兵器廃絶推進議員連盟と文科省内で面会した。議連の平口洋事務局長(広島2区)によると山本氏は「(1~4号棟)全体が重文になるよう進めたい」と述べたという。
被服支廠は県の1~3号棟と国の4号棟が残る。重文になれば、県の3棟については国が改修費の半額を補助できる。県は3月に指定に向けた調査結果を公表したが、国の立場は未定だった。それだけに平口氏は面会後、「非常にありがたい」と喜んだ。
保存を訴えてきた議連は3日、鈴木俊一財務相から「重文指定の方向で進める」との返答を得た。先週も「予算配分を行っていく」(加藤勝信厚生労働相)、「重文の線で進めれば良い」(中山光輝首相秘書官)と国の予算措置に前向きな返答を受けていた。
政府内で重文指定の検討が加速したのは、6月6日の湯崎英彦知事による首相への耐震化支援の要請からだ。首相周辺の一人は「被爆の実態を世界に伝える建物だ」と、被爆地を地盤とする首相の信条にかなう案件だとの見方を示す。
耐震化は内部見学ができるための安全対策を意味する。県の試算では1棟当たり少なくとも5億8千万円。厚労省の既存の被爆建物の改修補助は上限が2460万円。多額の国費が見込める重文指定は県にとって願ってもない方向だ。ある県幹部はこれまでの曲折を念頭に「やっとここまで来た」と予算付けに期待する。
首相が議長を務めた広島市での先進7カ国首脳会議(G7サミット)が終わり、被爆78年の夏が迫る。要請を繰り返す議連側にも今が「最大の好機」との目算があった。平口氏は言う。「岸田首相でなければここまで一気に進むことはなかった」(樋口浩二)
<旧陸軍被服支廠を巡る主な動き>
1913年 旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
45年 米国の原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部とし
て利用
52年 広島県が現存する4棟のうち3棟を国から取得
56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大
が4号棟を学生寮として利用
92年 県が現地で建物の強度を調査
93年 広島市が被爆建物に登録
95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
96年 県が「瀬戸内海文化博物館」としての活用を見据
え、耐震性を調査
98年 県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年 県がロシア・エルミタージュ美術館の
分館誘致の検討を開始
06年 県が分館誘致を断念
17年8月 県が改めて耐震性調査を開始
19年9月 県が安全対策に20年度に着手すると表明
19年12月 県が1号棟を外観保存し、2、3号棟を解体する
案を公表
20年2月 県が20年度の解体着手先送りを表明
21年5月 県が1~3号棟を耐震化すると表明。「2棟解
体」からの方針転換
23年3月 県の有識者懇談会が図書館や平和資料館など約3
0の活用アイデアを例示。別の有識者会議は国の
重要文化財(重文)指定に向けた調査結果を公表
6月6日 湯崎英彦知事が耐震化のための財政支援を岸田文
雄首相に要請
6月27日 被爆地選出の自民党議員連盟の要請に対し、加藤
勝信厚生労働相が「関係省庁と連携しながら必要
な予算配分を行っていきたい」、中山光輝首相秘
書官が「重文指定の線で進めれば良い」と返答
7月3日 鈴木俊一財務相が議連に「文化財指定する方向で
進めたい」
4日 山本左近文部科学政務官が国所有の4号棟につい
て議連に「文化財指定に向けた調査を進める」
(2023年7月5日朝刊掲載)