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21世紀・核時代 負の遺産 <38> 取材を終えて (下) 脱原発へ漸次転換の時 原発と世界の潮流 欧州、相次ぐ撤退・凍結 代替エネルギーに活路

 一九五四年三月一日、米国が中部太平洋ビキニ環礁で水爆実験を実施。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員やマーシャル諸島住民、多くの米兵らが被曝(ばく)した。同じ年、アイゼンハワー米大統領が「平和のための原子力」を唱え、大々的に喧伝(けんでん)され始めた。

 「われわれ専門家は、放射線の人体への影響について随分知っていた。しかし放射能汚染について情報が閉ざされていたあのころの市民は、電力だけでなく、飛行機も車もすべて核エネルギーに変わる。原子力委員会のそんな夢のような宣伝を信じていたのだよ…」

 一九四二年、カリフォルニア大学バークリー校大学院在籍中に原爆製造計画の「マンハッタン・プロジェクト」に参加。四三年に触媒法でプルトニウムを取り出した化学者で医師のジョン・ゴフマン博士(83)は、サンフランシスコ市の自宅で、半世紀前の「時代のビジョン」について振り返った。

 原子力委員会(現エネルギー省)の関係者は、原子力発電所ができれば電気代が安くなり、「メーターで測る必要もなくなる」と議員らに説いて回った。米国の原子力企業関係者は、日本など海外を訪れ、技術を売り込んだ。

 そして五七年八月、日本でも茨城県東海村に「原子の火」がともった。原発は、六〇年代後半から七〇年代にかけ、北アメリカやソ連、ヨーロッパ、日本を中心に広がっていった。

 七四年、オーストリアの首都ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)は「二〇〇〇年までに全世界で百万キロワット級の原発四千四百五十基が建設されるだろう」と予測した。原発推進論が絶頂期を迎えた時期である。

 しかし二〇〇一年末現在、世界の原発の稼働数は米国の百三基を最高に三十カ国一地域で四百三十二基。IAEAの予測の約10%、閉鎖分の七十九基を含めても約11%である。

 予測を大幅に下回った最大の要因は、このシリーズでも取り上げた炉心溶融を伴う二つの原発事故である。一つは、七九年に起きた米国ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド(TMI)原発事故。もう一つは、八六年の旧ソ連ウクライナ共和国(現ウクライナ)でのチェルノブイリ原発事故である。

 原発の未来に暗雲を投げかけたTMI事故では、それ以後米国内では新規発注の原発は一基も建設されていない。チェルノブイリ事故では、膨大な量の放射性物質が大気中に放出された。ヨーロッパをはじめ北半球全体に「死の灰」が降り注ぎ、「地球被曝」として人びとの脳裏に放射能の恐怖を焼き付けた。

 特に後者の事故以後、イタリアやオーストリアのように国民投票を実施し、稼働中や建設中のものを含め原発利用から撤退したり、オランダやスイスのように新規原発建設の凍結を打ち出したりする国が相次いだ。最近ではドイツ議会が今年二月、現在運転中の十九基の原発の稼働期間を各三十二年とし、期限に達した時点で廃止する法律を成立させた。三月にはベルギーでも、七基ある原発の使用期間を四十年と定め、新規原発は建設しないとの「脱原子力法案」を閣議決定した。

 高速増殖炉実証炉「スーパーフェニックス」など積極的に原子力政策を推進してきたフランスでさえ、高速増殖炉計画からはすでに撤退。70%以上という原発依存率の「行き過ぎ」を反省し、稼働中の原発五十七基を漸減しようとしている。

 今もなお積極的な姿勢を見せているのはロシアと日本、インド、そしてブッシュ政権下になってにわかに推進策を取り始めた米国など数カ国にすぎない。

 が、米国では原発から出た使用済み核燃料の最終処分地の問題や、運搬に伴う危険などに強い懸念を抱く市民が多いだけに、ブッシュ政権の思惑通りには進まないだろう。加えて核施設に対するテロ攻撃への市民の不安は「現実」のものとしてある。

 ロシアでも新たな原発建設に対し、市民の根強い反対がある。昨年ロシア議会で改正され法的に可能になった、使用済み核燃料を含む外国からの放射性廃棄物の搬入についても、候補地に挙がるシベリア地方の住民らの抵抗が強い。

 むろん、ドイツやベルギーのように脱原発の方向性を明確に打ち出した国でも、その方針に批判があることは事実である。「地球温暖化防止やエネルギー源の確保のためには原発も必要」というのが主な理由である。その国の政権が代われば、エネルギー政策が変わる可能性がないわけではない。

 だが、仮にそうした事態が生じても「原子力エネルギーへの依存率を高めよう」との議論にならないのは明白である。

 そしてドイツやオランダのように脱原発を目指そうとする国ほど、風力発電やバイオマスなど再生可能なエネルギー源の開発、省エネルギーへの取り組みが盛んである。

 果たして日本ではどうか? 来年には廃炉が決まっている新型転換炉「ふげん」を含め、現在五十三基の原発が稼働し、約三分の一の電力をまかなっている。国の方針では、さらに二〇一〇年までに十~十三基を増設し、原発依存率を40%にまで高めようというのだ。

 その上、青森県六ケ所村の原子燃料サイクル施設では、再処理工場を二〇〇五年には稼働させ、使用済み核燃料からプルトニウムとウランを抽出。併設するウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料加工施設でMOX燃料を製造し、既存の軽水炉原発で使用する計画である。

 「被爆国である日本が、なぜ採算の合わない危険な再処理の道に進むのか、私には全く理解できない。大気や海洋への放射能汚染や化学汚染を広げ、放射性廃棄物を一層増やすだけになるだろう」。こう警告するのは、米国の首都ワシントン郊外にある「エネルギー環境調査研究所」所長で、核物理学者のアージャン・マキジャニーさん(57)である。

 彼は、高い技術を持つ日本は、風力など再生可能なエネルギー源の開発で、世界のイニシアチブを取り、貢献すべきだと提言する。そして仮に、将来にわたって核エネルギーの利用を続けるにせよ「高価なMOX燃料ではなく、従来通り安いウラン燃料を使えばいい。ウランはまだ、われわれが核時代を生きてきたこれまでの期間以上に埋蔵量はあるのだから…」と指摘する。

 再処理については、ゴフマンさんも語気を強めて批判した。

 「私はかつて一・二ミリグラムのプルトニウムを取り出した。六十年近くがたって世界にはコントロールが利かないほどのプルトニウムがあふれている。日本も再処理工場からプルトニウムを取り出す限り、最初の意図とは別に核兵器を保有するようになるだろう。それは広島や長崎の体験とは相いれない」と。

 二兆円を超す再処理工場の建設。見通しの立たない高速増殖炉やプルサーマル計画…。電力自由化が進む一方で、国も電気事業者もこれまでと同じ原発依存や核燃料サイクル政策から一歩も踏み出せないでいるのが現実である。

 「国策」優先のタテマエ論ばかりが目立つ現状に、原子力エネルギーの有用性を認める専門家五人でつくる「原子力未来研究会」の山地憲治・東京大学教授(52)は「核燃料サイクルの見通しがつくまでは、再処理工場の建設を中止すべきだ」と主張する。

 福島県の佐藤栄佐久知事は、東京電力や原子力委員会の再三の要請にもかかわらず、福島第一原発3号機でのMOX燃料使用に同意していない。その背景には、国策で進められてきた原子力に代表される巨大技術への依存から、地域に根ざした小規模エネルギーへの転換を図りたいとの狙いがあるからだ。

 チェルノブイリ原発やTMI原発を取材し、原発の「安全神話」がいかに脆(もろ)いかを知った。原発の老朽化が進む中で、世界の多くの国が使用年数を当初言われた三十年から十年あるいはそれ以上延ばしている。米国やロシアなどでは六十年まで認める動きが出てきた。が、それはまた原発事故の可能性を高めることをも意味している。

 日本のエネルギー事情を考えるとき、私たちは当分、原発と共存していかねばならないことを承知している。しかし、少なくとも原発の増設や再処理工場の建設には歯止めをかけるべきではないか。そして過去の蓄積分と将来にわたって生まれる「核のごみ」を安全に管理し、次世代への負担を少しでも軽くするためにさらに研究を積み重ねる必要があるだろう。

 その中には、使用済み核燃料を「廃棄物」として最終処分するという選択肢が含まれることは言うまでもない。

 国のエネルギー関係予算の大半が原発に集中するような弊害は是正すべきである。二酸化炭素の排出が比較的少ない天然ガスの利用や、マキジャニーさんが指摘するように風力や太陽熱、地熱や燃料電池など環境により優しい再生可能なエネルギー源の開発・研究に思い切った投資をして、自然エネルギーへの依存率を高めるべきだろう。「エコ商品」など省エネルギーの取り組みも重要である。

 それには地域の電力会社を含む民間企業、大学などの研究機関、行政、市民らの幅広い協力や創意が求められる。そして、そこには「地域から新しいビジネスを興す」とのビジネスマインドも欠かせない。

 原発立地地域では、これまで常に地域が賛成派と反対派に分かれ対立してきた。「人間的な絆(きずな)の喪失」という点では、地域社会にとって見過ごせない「負の遺産」でもあった。これからのエネルギー開発は、地域の人びとがこぞって協力できるようなものを目指すべきである。

 日本も、二十一世紀の可能な限り早い時期に「脱原発社会」を達成する。そんな目標を立てて緩やかな方向転換をしてゆくことが、今ほど求められているときがないのではないだろうか…。

 「二十世紀最大の体験」(米メディア博物館)だった「歴史的教訓」に依拠しながら、ヒロシマは半世紀余にわたり、核兵器廃絶や世界平和を訴えて歩んできた。これからは国内外に核廃絶や平和をアピールするだけでなく、自然エネルギーの研究開発・実用化においても、国内を先導し、世界に貢献できる都市づくりを進めていきたいものである。(文と写真 編集委員・田城明)

(2002年7月7日朝刊掲載)

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