×

ニュース

父・四国五郎 発見する「旅」 長男の光さん評伝刊行 反戦反核の思い 継承する手だて示す

 戦争や原爆で理不尽に命が奪われることへの憤りを、被爆地から生涯にわたって絵や言葉で表現し続けた詩人・画家の四国五郎さん(1924~2014年)。その背中を見て育ち、没後は膨大な遺作と向き合ってきた長男光さん(67)=大阪府吹田市=が、「反戦平和の詩画人 四國五郎」(写真・藤原書店)を刊行した。ヒロシマの戦後史を映す表現者の歩みをたどりながら、息子の視点から人間としての父の素顔に迫る評伝である。(森田裕美)

 「父を巡る発見の旅」のようなもの―。光さんは本書の取材執筆に充てた時間を、そう表現する。執筆を始めたのは2016年ごろ。自身の体調不良や新型コロナウイルスの感染拡大などで中断しながら、数年がかりで書き上げた。

 活字で残したかったのには幾つか理由がある。父亡き後にアトリエにあふれる作品や日記を整理するうち、「家で見てきた物静かな父」とは違う「反戦反核の闘士のような社会的な表現者としての顔」を見る。

 ちょうど光さん自身、「戦争へと外堀が埋められているような日本の政治状況」に不安を覚え始めていた時期だった。「あの誤った道をもう一度歩まないために」といちずに筆に動かし続けた父の姿に「戦争をしないため、一人一人に何ができるか。現代へのヒントがあるような気がした」。

 絵画と比べ、公開される機会の少ない詩作品を「記録として残したい」との思いもあったという。

 私家版の峠三吉「原爆詩集」の表紙絵や絵本「おこりじぞう」で知られる父五郎さんは、現在の三原市大和町に生まれ、広島市で育つ。従軍して旧満州(中国東北部)に赴き、シベリア抑留を体験。戻った広島で最愛の弟の被爆死を知る。その悲しみや憤りを原動力に終生、創作を続けた。

 440ページ余りの本書で光さんは「絵描きになることしか考えたことがなかった」という父の子ども時代から従軍、シベリア抑留、戦後の表現活動まで人生をたどる。作品や資料から当時の社会の空気を読み取り、父の覚悟をひもとく。

 とりわけ紙幅を割くのが、占領期の言論統制下、峠らと協働した詩誌「われらの詩」や「辻詩」などの表現活動についてだ。「辻詩」は、社会への批判を詩と絵をセットに表現したポスターのような作品だ。時は朝鮮戦争下、当時の米トルーマン大統領が原爆使用もほのめかす中、「反核闘争の手段」として街の辻々に貼り出し、警察が来ると剝がして逃げたという。「芸術性の高さや金銭的価値に関係なく、命がけで伝えようとした。父にとって表現は、芸術を活用した平和運動」と光さん。のちにNHK広島放送局が呼びかけた「市民が描いた原爆の絵」を、市井の被爆者たちに描くよう促したのも、「沈黙から言葉(記憶)を引き出す運動だった」と見る。

 本書ではこれまで公にしてこなかった父の晩年にも触れた。「表現すること」と「生きること」が同義だった父が認知症を患い、創作できなくなったのだ。光さんが「表現者としての父の存在の消滅」と記す父の変化は、介護する家族にとってとてもつらい経験だった。それでも書いたのは、「人はいつか亡くなる。のこされた者が、事実を記録せねば」との思いからだ。

 この評伝がいまに響くのは、詩画人の執念や知られざる素顔がつぶさに描かれているためだけではない。息子である光さんが、父の残した「表現物」から記憶に迫り、それを自分の言葉で発しているからだろう。

 戦争や被爆の体験者がますます少なくなる中、いかに記憶を未来につなぐか―。「継承」の手だてを示唆する一冊でもある。

(2023年7月12日朝刊掲載)

年別アーカイブ