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被爆建物6件 国史跡申請へ 広島市、レストハウスや旧日銀支店 あす文化庁へ具申

 広島市は12日、市内の被爆建物のうち6件について、国史跡への指定に向けて文化庁へ申請する方針を明らかにした。中区のレストハウスや旧日本銀行広島支店で、いずれも爆心地から2キロ圏内にあり、78年前の被爆の実態を伝えている。国費を活用して文化財としてより適切に保存し、次世代へ残す。(野平慧一)

 市は国史跡への指定を目指す考えを13日の市文化財審議会で報告した上で、14日に文化庁へ意見具申する。国の審議会は、年内に文部科学相へ指定について答申する見通し。

 市は被爆建物として86件を登録。うち建物がほぼ全壊・全焼した2キロ圏内にあり、当時の姿を比較的良好に残し、被爆の痕跡を確認できる6件を国史跡の申請候補に絞り込んだ。

 平和記念公園のレストハウス(爆心地から170メートル)は1929年に大正屋呉服店として建った。市内の被爆建物では原爆ドーム(中区)に次いで2番目に爆心地に近い。36年完成の旧日銀広島支店(380メートル)は、ギリシャ風の装飾彫刻などの古典様式が特徴。壁には被爆時にガラスが刺さった跡がある。

 他の4件のうち、いずれも中区の本川小平和資料館(410メートル)と袋町小平和資料館(460メートル)は、多くの児童が犠牲になった。2025年11月に原爆資料館(中区)の付属展示施設になる予定。中区の広島城本丸跡にある中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室、790メートル)は原爆投下後に「広島壊滅」の一報を送ったとされる。南区の多聞院の鐘楼(1750メートル)は、本堂などが大破する中で爆風に耐えた。

 市内では、原爆ドームが95年6月に国史跡となり、96年12月に世界遺産へ登録された。16年に長崎市の被爆遺構が国史跡に指定されたのを機に、広島市も被爆建物の新たな国史跡指定に向け、20年から本格的な調査を進めていた。指定されると、修繕時などに国から最大2分の1の補助を受けられるが、現状変更には文化庁の許可が必要となる。

(2023年7月13日朝刊掲載)

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