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連載・特集

緑地帯 小桜けい 種を置く③

 鳥になったことはないが、「風」というのは飛ぶ際の影響を大きく受けるのではないかと思う。逆風、順風、無風によって、筋力の使い方は異なるだろう。

 子どもの頃から本を読むのが好きだったが、小説を書いたのは友人の「書いてみたら」の一言からだ。そこから小説を書くという「風」は強弱をつけながらも吹いている。順風だったのは30代半ばだ。

 その頃毎月、東京へ行き、小説のワークショップに通っていた。先生は中島梓さんだ。小説家・栗本薫としての名も知られているが、私は中島先生の評論が好きだった。

 ワークショップの受講生は多く、講評をいただけるのは2カ月に1度。それでも毎月通い、必ず課題は提出した。受講生が減り、月に1度の提出になっても、必ず仕上げた。先生からの講評は宝物だった。

 小説を書くのは「夕鶴」のようなものだと、先生が話してくれたのを覚えている。鶴は自分の羽を抜いて織物を作る。体は傷つくが、美しい織物ができるのだ。美しいかどうかはともかく、自分の羽で織り上げたと感じたとき、先生は「面白い」と言ってくれた。

 月に1度、羽を織り上げて東京へ行く生活は、5~6年続いた。毎回、先生との真剣勝負だった。うそやごまかしは見抜かれて、心の奥を暴かれる。帰りの新幹線では抜け殻で、羽一本すらない飛べない鶴だ。苦しくも楽しい、充実した日々だった。

 しかし、先生が亡くなって、その日々はあっけなく終了した。それからしばらく、書けない無風の状態が続いた。(第55回中国短編文学賞大賞受賞者=広島市)

(2023年7月8日朝刊掲載)

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