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社説・コラム

社説 被爆建物の国史跡申請 末永い保存・活用の弾みに

 広島市は先週、市内にある被爆建物のうち6件について、国史跡への指定を文化庁に申請した。レストハウスや旧日本銀行広島支店などで、いずれも爆心地から2キロ圏内にある。原爆投下による惨禍を今に伝える「物言わぬ証人」だ。

 早ければ年内にも指定される見込みという。国史跡になると、文化財としての価値に国の「お墨付き」が得られ、末永い保存と活用に道を開く。まだ被爆建物のほんの一部とはいえ、申請を歓迎したい。

 広島市には1993年に設けた被爆建物の登録制度がある。爆心地から5キロ圏内に現存するものが対象で、世界遺産の原爆ドームを含めて今は86件ある。

 その大半は民間が所有する。保存工事の際、市の補助はあるが、老朽化に伴い取り壊されるなどしたため、96年度の98件をピークに数は減っている。どうやって残していくかが長年の懸案だった。国史跡への申請は、解決策の一つと言えよう。

 初めて国史跡になった被爆建物は、原爆ドームである。世界遺産を目指す前提条件になっており、95年に指定された。それに続いたのが長崎市だった。爆心地や旧城山国民学校校舎など5カ所を「長崎原爆遺跡」と名付けて申請し、2016年に指定された。

 長崎市には、原爆ドームのように爆心地近くに一棟丸ごと残された被爆建物はない。程近い場所にあった浦上天主堂を戦後間もなく取り壊したからだ。苦肉の策として、市は五つ合わせて面的な広がりを持たせ、価値を高めることにした。広島市も参考にできる事例である。

 記憶の継承を巡る危機感の高まりも、申請を後押ししたのだろう。原爆投下から78年、あの日の惨状を証言できる被爆者は少なくなってきた。それに伴い、被爆建物は重みを増し、末永い保存策が求められていた。

 今回の6件は、保存状態が良い上、平和学習などに活用されている。レストハウスと旧日銀広島支店のほかは、本川小と袋町小の両平和資料館、中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)、多聞院の鐘楼である。

 対応を急ぐべきは旧防空作戦室だ。原爆による「広島壊滅」の第一報を伝えたとされる施設で、広島城や周辺に集中していた軍事施設の一つとして「軍都」の歴史も伝えてくれる。

 所有者は財務省だが、市が管理していた。半地下構造の建物は老朽化が進み、安全性を確保できないとして、17年度からは公開を中止している。活用に向け、どう保存するのか。指定を待たずに、具体化に向けた検討を加速しなければならない。

 国史跡になれば、修繕時などに半額の補助を国から受けられるメリットもある。ただ、それよりも国民共有の財産になる意味をかみしめたい。

 被爆地には、核兵器が都市や住民に何をもたらすのか、全人類に伝え、広めていく使命がある。被爆者の証言や原爆資料館の展示に加え、原爆ドームや今回の6件を含む被爆建物を活用しながら、原爆による惨禍を立体的に知ってもらえるよう、力を尽くす必要が市にはある。

 併せて、広島県や国が所有する旧陸軍被服支廠(ししょう)をはじめ他の被爆建物についても、どうやって保存し、活用していくのか。検討を怠ってはならない。

(2023年7月17日朝刊掲載)

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