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社説・コラム

『潮流』 不器用ですから

■東京支社編集部長 下久保聖司

 世の中がバブル経済に突き進もうとしていた1980年代。当時テレビで流れた生命保険会社のCMを覚えている。「不器用ですから‥」。ぽつりとつぶやくのは名優の高倉健さん。妻や家族への愛情表現が下手な男という設定だった。

 おととい、東広島市で四十九日法要をしたわが父も同じタイプだった。渋い演技が魅力の健さんと違い、明るくおしゃべりだった。ただ親切の押し売りもあり、その優しさを勝手に苦手と感じていた面もある。

 先月の家族葬で長男としてあいさつした。口をついたのは「不器用な人でした」。78歳。人生100年時代と言われるだけに、いささか早かった。ましてや急逝。家族としても気持ちの整理がつかなかった。

 突然の別れはコロナ禍で一層増えたはずだ。亡くなった人は全国で7万人を超す。父も、その一人。感染し、肺炎で逝った。元自衛官で「骨密度は20代」が晩年の自慢だっただけに、思いも寄らない最期だった。

 実は本欄で何度か父のことを書いてきた。8年前に「持ち山の境界を教えてやろう」と言われて一緒に分け入ったことや、ことし5月には自衛隊と憲法の関係についてなど。いろいろなことを教わった。

 健さんは、元教師で道理を説く母を「僕の中に法律があるとしたら、おふくろ」と語った。父との思い出を記すのは著書「旅の途中で」(新潮社)。元軍人の無頼派だったという。病に伏せった息子を変な冗談で励ます。健さんは「不器用な父の不器用な慰めだった」と懐かしんでいる。

 思えば、わが父は「器用な人」でもあった。達筆で日曜大工も玄人はだし。実家の田んぼの斜面に草刈りの足場を延々と築いた。子の労を減らそうと思ってのことか。親子関係で「不器用」だったのは当方も同じ。四十九日法要を終え、寂しさが込み上げる。

(2023年7月18日朝刊掲載)

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