×

連載・特集

緑地帯 田辺良平 没後100年・加藤友三郎①

 広島県出身として総理大臣となった令和の岸田文雄、平成の宮沢喜一、昭和の池田勇人はよく知られているが、大正の加藤友三郎については、広島県人でも知らない方が多い。岸田と宮沢は東京生まれの東京育ちであるが、池田は竹原市に生まれ育ち、友三郎は広島市に生まれて小学校までは広島で育っている生粋の広島人であるから、広島市民としては誇りに思ってもよいのではなかろうか。

 友三郎は総理在任期間が1年2カ月というあまりに短命であったことが、広島県人の印象が薄い原因と思われる。しかも、その生い立ちは海軍一筋の軍人出身であったことから、戦後、平和都市を唱える広島市の人たちに敬遠されてきたのではないかと感じられる。

 池田、宮沢、岸田は生粋の政治家であり、その目標とするところは総理大臣となって国家を動かすことにあったのだが、友三郎の場合は全く立場が違っていて、海軍兵学校に入学して以降、海軍一筋に生きてきたので、政治に対する関心は薄かったのである。

 ところがそんな彼は、総理になると軍人出身でありながら海陸軍の軍縮を断行し、国家予算の50%近くを占めていた軍事費を削減するなど、実に果断な財政措置を講じているのである。その加藤友三郎が今年8月24日に没後100年を迎えるに当たって、改めてその功績をたどり、国際平和都市を唱える広島市にとっては、最もふさわしい存在であったことを紹介していきたい。 (たなべ・りょうへい 郷土史家=広島市)

(2023年7月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ