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連載・特集

世界を駆ける「はだしのゲン」 連載開始50年 <上>

 漫画家の故中沢啓治さん(2012年に73歳で死去)の被爆体験に基づく自伝的作品「はだしのゲン」は、少年誌での連載開始から50年を迎えた。読み継がれているのは日本だけでない。主人公のひたむきさと反戦の訴えに心動かされた市民が手弁当で翻訳しており、全10巻あるいは一部の出版は24言語を数える。関わった市民を通じて「世界のゲン」を知る。(湯浅梨奈)

原爆投下国で 「突き付けるんだ」背押され英訳

 5月下旬、広島市中区のカフェ「ハチドリ舎」で開かれた50周年イベントに翻訳者たちが会した。どこか同窓会のよう。「英訳するとは、今思えば無謀な考えだったが…」。オンラインで参加した大嶋賢洋(まさひろ)さん(73)=東京都=は、外国語版としては初となった英語版を1978年に出版するまでを振り返った。

 きっかけはその2年前、米国の反核団体が主催する「平和行進」に参加したことだった。日本は高度経済成長、米国はベトナム反戦運動を経た時代。「旅好きのヒッピーだった」26歳の大嶋さんは約10カ月かけ米国を歩いて横断した。

 だが、原爆投下国という壁にぶち当たる。牧師から「あれは神からの罰」と言い放たれた。写真や資料を見せて原爆の悲惨さを説いても拒否された。そんな時思い出したのが「はだしのゲン」だった。刊行済みの4巻までを日本から取り寄せた。

 原爆に家族を奪われた少年・中岡元が懸命に生き抜く姿を描く作品だが、日本の指導者の戦争責任や加担した市民の姿、米国への怒りも刻まれている。受け入れられるか―。

 出会った人に見せると、日本語は分からなくても、涙を流しながらページをめくっている。「漫画なら伝わる。すごい」。英語版にすれば、もっと分かってもらえると確信した。

 帰国後、中沢さんに直接会い、「米国人に読んでもらいたい」と翻訳の許可を求めた。「読んでもらうんじゃない。ゲンを突き付けるんだ」と背を押された。

 翻訳以上に、吹き出しを英語に置き換える作業が煩雑を極めた。1こまに2時間。呼びかけに応じてくれた友人たちと、夜な夜な作業した。その一人が留学生だった米国人アラン・グリースンさん(71)=東京都=だ。「戦争や当時の暮らしも真っすぐ伝えていて衝撃的だ。英訳する価値があると直感した」

 全国からカンパを集めて第1巻を自費出版で数百冊刷り、米国の平和団体などに船便で送った。その後は米国の出版社が刊行を引き受けてくれた。とはいえ自らの資金と時間にはどうしても限界がある。第4巻までで、先の出版は宙に浮いた。

 全10巻の英訳へ、止まっていた歯車を再び回したのはロシア語翻訳に取り組んだ浅妻南海江さん(80)=金沢市=だった。ボランティア翻訳のネットワークを広げ、2000年に英語が得意な西多喜代子さん(71)=同市=とつながった。「学習を兼ねて」気軽に引き受けた西多さんだが、読み進めるうちに「貧しい生活の中、苦難を生きる人たちへの共感を忘れない少年の優しさに胸を打たれた」。グリースンさんも再び翻訳に関わった。日本語と英語では本のとじ方も、こまの順番も逆になるため、やはり作業は大変。中沢さんの許可を得て絵を反転、修正して全10巻の出版に至ったのは09年だった。

 現在、米国の漫画出版社が英語版を扱っている。売れ行きは把握していないが「今も普及の難しさはある」とグリースンさん。それでも「原爆投下の正当化は間違いだと知った」としたためる手紙が米国の若者から届くなど、手応えは感じてきた。

 踏まれるほど強く育つ麦のように―。中沢さんがゲンに託した「麦の心」。翻訳者たちが受け継ぎ、世界に種をまいている。

翻訳・刊行された24言語

英、ロシア、韓国、インドネシア、タイ、フィンランド、スペイン、イタリア、中国(繁体字)、ポルトガル、アラビア、トルコ、ヒンディー、フランス、ノルウェー、エスペラント、スウェーデン、ドイツ、インド英語、オランダ、ウクライナ、ペルシャ、シンハラ、ポーランド

(2023年7月17日朝刊掲載)

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