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社説・コラム

『潮流』 「絶対悪」からの転換点

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 被爆78年となる広島と長崎の「あの日」が近づく。被爆者と市民が自らの声で、歴代市長は毎年読み上げる平和宣言などで、核兵器がいかに悲惨で「絶対悪(evil)」であるかを訴えてきた年月と重なる。

 平和記念公園の原爆慰霊碑は、原爆死没者名簿を納める石室に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻む。「過ち」は酌量の余地ある行為や間違い(mistake)でなく、やはり絶対に許されない悪だろう。

 核兵器禁止条約の前提でもある「絶対悪」。その含意が足元から変わり始めていないか―。平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園が姉妹協定を結ぶと聞いて以来、そんな問いを抱いている。

 日本軍による真珠湾攻撃は軍事目標の攻撃で始まった戦闘で、米軍側は2千人余りの戦死者と民間人の巻き添えを伴った。ルーズベルト大統領は翌日、これを国家の「屈辱の日」とした。対して市街地に米軍が投下した原爆は、1945年末までだけでも広島で推計14万人、長崎では7万人の市民の命を奪った。

 「屈辱の日」を「リメンバー」する場と、非人道兵器による「あの日」の犠牲を「ノーモア」と悼む場。これらを相対化するイメージが少なくとも対外的には強まるだろう。

 私は「米核戦略」や「米国人の原爆観」をテーマに、計半年間余り米国各地を取材し、市民感情の複雑さにわずかながら触れてきた。協定を通じて、自国の原爆使用責任がかすみ、自分自身もどこか許された心境になる米国人は必ずいると思う。

 それが協定当事者らが言うところの「和解」と「未来志向」の土台をなすのだろう。同時に、原爆を含む核兵器は、うわべの言葉ではなく、真に「絶対悪」であり続けるか。被爆地からの訴えが、本質的な転換点に差しかかっているように思える。

(2023年7月20日朝刊掲載)

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