サミットを終えた夏 ヒロシマの叫び 届きましたか G7首脳 原爆資料館での40分検証
23年7月21日
広島市で先進7カ国首脳会議(G7サミット)が閉幕して、21日で2カ月となった。会期初日の5月19日には、核兵器を持つ米英仏3カ国を含むG7と欧州連合(EU)の首脳たちが平和記念公園(中区)を訪れ、岸田文雄首相の案内で原爆資料館を見学したが、詳細はいまだに明らかにされていない。閉ざされた館内で、首脳たちはヒロシマを見たのか―。関係者の証言や、芳名録への記帳から振り返る(樋口浩二、小林可奈、太田香)
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<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">通常と別ルート</div><br>
<strong>本館「惨状」展示など訪れず</strong><br><br>
被爆者の遺品や写真が展示され、被爆の惨禍をまざまざと伝える本館に、首脳たちが足を運ぶことはなかった。
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通常の見学ルートでは、東館から渡り廊下を通って本館に入ると、原爆投下直後に御幸橋西詰め(現中区)であえぐ被爆者の姿を捉えた写真など「8月6日の惨状」が目に入る。原爆症の苦しみを伝える「放射線による被害」、遺影や家族の手記を紹介した「魂の叫び」などのテーマに沿った展示が続く。政府関係者は、首脳たちに限られた時間で重要な展示を見てもらうため、東館に資料を集約したとしている。
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「資料館の主な展示テーマに即した形で重要な展示品を見てもらった」(岸田首相の書面回答)
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<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">集められた資料</div><br>
<strong>遺品や禎子さん悲話伝える</strong><br><br>
首脳たちは一般の入館者と同様に、東館1階から3階へエスカレーターで上がった。降りると、壁面に掲げられた被爆前の街並みや笑顔の子どもたちの拡大写真を見ることになる。
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3階には首脳たちのために、被爆者の遺品などの展示品が集められ、岸田首相が自ら説明した。招かれた被爆者の小倉桂子さん(85)は自らの体験や、被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの悲話を英語で伝えた。そばには禎子さんの折り鶴があった。
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見学後、英国のスナク首相は被爆死した子どもの遺品の三輪車や、学生服も見たと記者会見で明かした。カナダのトルドー首相は「じっくり見て回りたい」と、サミット閉幕後の21日に再訪している。
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「爆風でねじ曲がった子どもの三輪車や血まみれの破れた学生服を見た」(スナク首相の記者会見)
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「戦争がもたらす壊滅的な結果を思い起こさせた」(トルドー首相の記者会見)
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<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">原爆孤児企画展</div><br>
<strong>知事・市長が説明役担う</strong><br><br>
岸田首相夫妻の出迎えを受け、首脳たちは原爆資料館東館1階へ順次入った。8番目のフランスのマクロン大統領が到着後、最後の米国のバイデン大統領が来るまでの間に、広島市の松井一実市長が1階で開催中の原爆孤児の企画展を説明。昨年の平和記念式典で読み上げた平和宣言の英訳も配られた。広島県の湯崎英彦知事は、2016年に来館した米国のオバマ大統領が持参した折り鶴を紹介した。
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「各国首脳が(上階に)上がるまでの間、知事と一緒に話をする時間をもらった」(松井市長)
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「2歳で被爆して白血病で亡くなった佐々木禎子さんの説明をした」(湯崎知事)
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<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">志賀賢治前館長に聞く</div><br>
<strong>「感性の本館」見学なければ残念</strong><br><br>
首脳たちは被爆の実態にどれだけ触れたのか―。2013~19年に原爆資料館長を務め、本館と東館のリニューアルに携わった志賀賢治さん(70)=広島市西区=は、疑問を抱いている。
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原爆資料館は「情報の東館」「感性の本館」といわれる。学術情報を紹介する東館は知性に訴える一方、本館は遺品一つ一つと向き合い、死者と対話できる環境を整えている。首脳たちが本館を見学しなかったのならば残念だ。見せたくない物があったのではないかと勘ぐってしまう。
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19年の本館リニューアルでは、主に三つの柱を重視した。被爆者の視点で「あの日」を表現する▽実物資料によって語らしめる▽一人一人の犠牲者の無念、遺族の苦しみを伝える―だ。顔が見えるような空間を議論を重ねてつくり上げた。
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「被爆の実相」に触れるとは、原爆の威力だけでなく、原爆で何が失われたのかを知ることだ。さまざまな日常や未来が奪われたのだ。遺族が記憶や思いを託した遺品に向き合ったとき、死者の無念さに思いを巡らせられる。今回、それがどこまで実現できたのだろうか。
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<strong>日本・岸田首相</strong><br>
歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」をめざすためにここに集う
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<strong>フランス・マクロン大統領</strong><br>
感情と共感の念をもって広島で犠牲となった方々を追悼する責務に貢献し、平和のために行動することだけが、私たちに課せられた使命です。
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<strong>米国・バイデン大統領</strong><br>
この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう!
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<strong>カナダ・トルドー首相</strong><br>
多数の犠牲になった命、被爆者の声にならない悲嘆、広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に、カナダは厳粛なる弔慰と敬意を表します。貴方の体験は我々(われわれ)の心に永遠に刻まれることでしょう。
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<strong>英国・スナク首相</strong><br>
シェイクスピアは、「悲しみを言葉に出せ」と説いている。しかし、原爆の閃光(せんこう)に照らされ、言葉は通じない。広島と長崎の人々の恐怖と苦しみは、どんな言葉を用いても言い表すことができない。しかし、私たちが、心と魂を込めて言えることは、繰り返さないということだ。
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<strong>EU・ミシェル大統領</strong><br>
80年近く前、この地は大いなる悲劇に見舞われました。このことは、われわれG7が実際何を守ろうとしているのか、なぜそれを守りたいのか、改めて思い起こさせます。それは、平和と自由。なぜならば、それらは人類が最も渇望するものだからです。
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<strong>EU・フォンデアライエン欧州委員長</strong><br>
広島で起きたことは、今なお人類を苦しめています。これは戦争がもたらす重い代償と、平和を守り堅持するというわれわれの終わりなき義務をはっきりと思い起こさせるものです。
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<strong>ドイツ・ショルツ首相</strong><br>
この場所は、想像を絶する苦しみを思い起こさせる。私たちは今日ここでパートナーたちとともに、この上なく強い決意で平和と自由を守っていくとの約束を新たにする。核の戦争は決して再び繰り返されてはならない。
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<strong>イタリア・メローニ首相</strong><br>
本日、少し立ち止まり、祈りを捧(ささ)げましょう。本日、闇が凌駕(りょうが)するものは何もないということを覚えておきましょう。本日、過去を思い起こして、希望に満ちた未来を共に描きましょう。
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芳名録の仮訳は外務省発表に基づく
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(2023年7月21日朝刊掲載)<br><br>
<a href="https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=134635" target="_blank" rel="noopener noreferrer">サミットを終えた夏~首脳はヒロシマを見たか <1> 閉ざされた原爆資料館</a><br><br>