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連載・特集

世界を駆ける「はだしのゲン」 連載開始50年 <下> 曲折と希望と 各国で出版 「諦めず広めたい」

 故中沢啓治さん作の漫画「はだしのゲン」は、1970年代に英語版が出版されて以降、国内外の市民の手で計24言語に翻訳されてきた。「生前、翻訳本を机に並べて1冊ずつ手に取っては感慨深そうに表紙を見つめていました」。妻ミサヨさん(80)はそう語る。今、25番目になりそうなのが、モンゴル語。アジアの草原の国で、19歳の医大生が奮闘中だ。

 「戦争中の『建物疎開』などの言葉や、戸を閉める時の『バタン』など日本語らしい擬音語の説明が大変です」。首都ウランバートルに住むアリウン・バヤスガランさんが、オンライン取材で苦労話をしてくれた。学業と両立させ、12歳の時から全10巻のうち第5巻までを訳出してきた。

 「ゲン」との出合いは被爆地だった。広島大に留学した医師の両親と、小学3年から約4年間、広島市内で暮らした。小学校で「ゲン」を知り、まだ日本語が読めないのに夢中でページを繰った。この美しい街が一発の原爆で壊滅していたなんて―。倒壊した自宅の下敷きになったゲンの父と姉弟が、目の前で炎にのまれる場面に打ちひしがれた。

 小6の時「モンゴル語にして家族に読んでもらいたい」と両親に話すと、母親が人づてにミサヨさんに連絡し了承を得た。「すごくうれしかった」。出版してミサヨさんの期待に応えたい。核兵器を持つロシアと中国に挟まれた国で、若者に読まれる日を思い描く。

 世界に広まる「ゲン」。だが、日本では曲折にさらされてきた作品でもある。73年に少年漫画雑誌で連載を開始して以降、掲載誌の変更や中断を経た。広島市教委は本年度の平和教育教材から作品の引用を削除し、波紋を広げた。

 海外では、国によって日本以上の困難を強いられる。特に日本の侵略戦争を記憶する国で、原爆被害の悲惨さに対する受け止めは一様ではない。言論、出版の自由の規制もある。

 中国で日本語のラジオ放送に携わった経験を持つ坂東弘美さん(75)=名古屋市=は、全10巻を中国語に翻訳した。中国の出版社を回ったが「政府の許可が得られない」と言われ日の目を見ていない。活路を求めて7年前、繁体字に直し台湾で出版した。

 一方で日本の植民地支配を経た地、韓国では近年変化が見られる。

 「中学校では特に男子に人気で、図書室の本は背表紙もぼろぼろ」。韓国語に訳した在日韓国人の金松伊(キム・ソンイ)さん(76)=茨城県高萩市=は6月の渡韓時にそう聞いた。

 35歳だった81年ごろ、小学生の息子の勧めで初めて読み涙した。「作者は徹底的に戦争反対を貫き、戦時中の朝鮮人差別とも向き合っている」。翻訳を志した。2000年に渡韓して売り込み、出版にこぎ着けた。漫画を含めた、日本大衆文化の流入規制が一部撤廃されて間もない時期だ。

 思い通りにはいかない。「原爆投下により支配から解放された」とする世論の強さを痛感した。だが諦めず、02年に全10巻をそろえた。被爆体験を描いた4巻までだけでなく、軍国主義への反省なき戦後の不条理などを告発する5巻以降があってこそだと信じた。

 作品は地道に広まった。「心優しくも社会の悪や矛盾と懸命に立ち向かおうとする少年の姿が、子どもたちの心をつかんでいる」。金さんの実感だ。

 ウクライナへの侵攻を続けるロシアは核のどう喝に走り、世界は50年間で最も核兵器使用の危険にさらされている。ロシア語翻訳を手がけた翻訳者のネットワーク「プロジェクト・ゲン」前代表の浅妻南海江さん(80)=金沢市=は「諦めず、今こそ作品を広め続けることが私たち翻訳者の役目」と力を込める。日本と世界で作品を読み継ぐことが、私たち読み手の市民の役目だろう。(湯浅梨奈)

(2023年7月24日朝刊掲載)

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