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ウクライナ歌手 原爆の日再出発 避難先の広島で8・6コンサート 「戦禍の母国に思いを」

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を逃れ、広島市で避難生活を送るヤナ・ヤノブスカさん(41)が8月6日の原爆の日に歌手として再出発する。母国で約20年のキャリアを積んできたが侵攻を境に断ち切られた。戦争終結への見通しが立たず、日本での活動を模索する中で初の本格的なオファー。「母国と世界の平和を願って歌声を届けたい」と意気込む。(新山京子)

 元安川(中区)の船上飲食店、かき船「かなわ」が店内で毎年この日に開く「平和の祈りコンサート」。食事中の来店者に向けて、ウクライナ語で民謡「チェレムシーナの花」を歌うほか、英語と日本語の計3曲を披露。さらに、広島出身のシンガー・ソングライターSeaさんとの共演で2曲を歌う。

 ヤノブスカさんは首都キーウ(キエフ)の専門学校で音楽を学んだ後、20代からバンドを組んでバーやイベントのステージに立ってきた。「広島でも活動したい」。その思いを知った同店の三保二郎社長が出演を提案した。「名前を知ってもらい、活動を広げるきっかけにしてもらえれば」とエールを送る。

 ヤノブスカさんが日本に避難したのは昨年4月。侵攻開始の直後、長女ゾリアナ・ヒブリチさん(20)とキーウの自宅を離れ、ポーランドやリトアニアへと自家用車で必死に移動した末、知人を頼って広島へ来た。

 時折ネイリストの仕事をこなしながら、「誰かに頼ってばかりではいけない」と焦りを募らせているという。外資系ホテルの採用面接を受けたが、日本語でのコミュニケーションの難しさを理由に断られた。厳しい現実に「ウクライナに帰りたい」と心が折れそうになることも。母国を思うと涙が頰を伝う。

 そんな母親を心配させまいと、ヒブリチさんは今年2月から中区のカフェで働き始めた。日本式マナーを一から学び、笑顔で接客する。「娘が頑張る姿に、私も得意な歌を生かして日本で生活していくしかないと前向きになれた」

 ヤノブスカさんは「声は落ち着いた低音で、ポップやジャズが得意」。広島ウクライナ人会関連のイベントで歌を数回披露したが、日本での知名度アップにはさらに努力が必要だ。「生活で自立し、ウクライナに残る母と姉を元気づけたい」との思いを胸に抱く。

 8月6日の出演は午後7時から。ヒブリチさんも声を合わせる。2人は「原爆の日に、焼け跡からの復興を遂げた広島で歌声を届けることの意味を考えている。私たちの姿を通じて、戦禍のウクライナに思いを寄せてもらいたい」と話している。

(2023年7月24日朝刊掲載)

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